恋人同士になった2人の男の人生を、一部切り取ってみせてくれる映画です。
正直、この内容で、なぜ題名が『エゴイスト』なのか分かりませんでした。
ほんと鈍くて、すみません。
というわけで、鈍感な私が映画『エゴイスト』の感想を語ってみたいと思います。
ただし、ネタバレ・あらすじを含みます。
お嫌な方はここまででお願い致しますm(_._)m
『エゴイスト』ネタバレ感想
記憶がおぼろになっている方&見ていない方のために簡単なあらすじを。
一番のエゴイストは自分か…?と思わされる映画
「エゴイスト」とは、「利己的な人」という意味の言葉ですね。
つまり、普段使いの言葉で言うなら、「自己中」ということです。
いちいち言われなくても分かってる?
ですよね~。
でも確認したくなるほど、私はこの映画を見ていて、どこに“自己中”がいるのか分かりませんでした。
映画を見始めてから、ずっと、「こいつか? いや、あいつが自己中か?」と思いながら見ていたのに、いつまで経っても自己中が出てこないので、そのうち題名のことを忘れちゃいましたよ。
ラストだって、私にとっては全然いやな終わり方ではなくて、「そういや題名の意味は…?」となりました。
無理くりに当てはめてみるなら、龍太が気持ちを打ち明けることで、浩輔を恋愛関係に引きずりこんだのに、自分の気持ちの問題で、またも唐突に別れを告げたこととか?
この龍太君、二十代前半で、見た目は実に爽やかな可愛らしい好青年です。
浩輔とはパーソナルトレーナーとして出会ったわけで、ちゃんとしたお仕事もしている、普通の青年だと思われました。
しかし、実は苦労人で、龍太が14歳のときに母親が病気となり、母と2人暮らしだったこともあって、最終学歴は高校中退です。
高校中退ですと、当然、思うように稼ぐことは難しいです。ですが、龍太は母との生活費だけでなく、治療費も、待ったなしで稼ぎ続けなければなりません。
浩輔に「トレーナーだけで身を立てていきたい」と話していましたが、ということは、今はトレーナーだけでは十分な収入を得られておらず、別にバイトを入れているということでした。
後々分かりますが、結局のところ、別のバイトとは身を売ることでした。
浩輔に別れを切り出したのは、そんな秘密のバイトが困難になったからです。割り切ってできていたはずのバイトなのに、浩輔と付き合うことで割り切れなくなったというのです。
つらかったね。かわいそうに。
でもね、真剣に、本当に、浩輔のことが好きになればなるほど、自分が苦しくなることは分かりきっていましたよね。
そして結果的に、龍太は浩輔を巻き込んで、浩輔にまで辛い思いをさせました。
好きになっちゃったんだから、体の関係を持つところまでは仕方ない、ということなら、そこまでは良しとしましょう。
ですが、「もう会わない」なんて唐突に言い出すのではなく、もうちょっと、うまく言えたんじゃないかな~と思うわけです。
自分の感情のみで浩輔を振り回したことが、龍太のエゴといえばエゴかなと。
では次に、浩輔に無理くり「エゴイスト」を探してみましたら、龍太の母に自分の感情を押し付けたところがエゴなのかなと。
浩輔は龍太から別れを切り出された後、龍太を自分が買い占めるとして、援助を申し出ました。
それを受け入れた龍太は、夜のバイトを止めて、足りない生活費は皿洗い等を掛け持ちして稼ぎます。
体力的にはキツかったでしょうが、精神的にはずいぶん楽になった龍太です。
それもあってか、母と2人暮らしのアパートに浩輔を招き、友人として、母と浩輔を引き合わせるのでした。
その後、無理がたたったのか、龍太は急逝してしまいます。
一人残された龍太の母を、浩輔は見捨てることができませんでした。つまり、龍太に渡していた月々のお手当てを、龍太の母に渡そうとしたのですよ。
う~ん、美談っちゃ~美談ですが、母が知りたくなかったであろう真実を突きつけてしまったことは、浩輔のエゴかな~。
正直、私がこの映画の中で一番黒く感じたのは、ここなのですよね。龍太の母が浩輔からお金を受け取るシーンです。
息子から浩輔を引き合わされた日、母は2人が恋人同士であることに気づいていました。
そして息子にも、息子の葬式に来てくれた浩輔にも、男とか女とかどうでもいい、大切な人がいるってことが素晴らしいことなんだって、言ってくれたのです。
素敵な人ですよね。
でも、その後、母は真実を知ります。
2人はただの恋愛関係というだけではなく、そこに金銭の授受があったということを知った母の心情たるや、目に見えるようでした。
こう、コップの中の水に、一筋の墨汁を入れたような、黒い霧がふわりと彼女の心の中に広がっていく様が見えた気がしたのですよ。
押し問答の末、彼女は浩輔の差し出した封筒を受け取ります。
現実問題、病気を抱えて、頼みの綱である息子も亡くした女が、他にどうすることができたのかと。
とはいえ、です。彼女の葛藤が見えたとき、息子を買われたお金を受け取るのかと、理屈じゃなく感情で反応してしまったのですよ。
もちろん、もちろん、きれいごとだけで生きていけないのは分かってます。
でも、せっかく素敵な言葉を言ってくれた人なだけに、ギャップがね……。
というわけで、この映画の登場人物にはあまりエゴを感じられず、結局のところ、自分のエゴを思い知ったという次第なのでした。
縁の不思議
初老にもなり、恋愛映画にも現実の恋愛にも、とんと疎遠となりました。
で、うっかり、がっつり、こんな若人の、恋愛から入る映画を見てしまうと、人の縁って不思議だなぁと思ってしまいます。
浩輔が龍太と知り合ったのは、浩輔の友人の紹介で、最初は細い糸のようなつながりでした。
そこから、最終的には、浩輔が龍太の母を看取る関係までいくのですから、本当に人の縁とは分からないものです。
映画は母が亡くなるところまでは描いていませんが、たぶんそうだろうなと。
最初はね~、浩輔に身の上話をする龍太が“あざと女子”にしか見えなかったです。
これはもう題名のせいです。あざと女子・龍太が浩輔をひどい目に合わせるか、ひどい目に会わされた浩輔が暴挙に出て、龍太と自分の人生をめっちゃくっちゃにしてしまうかだと思い込んでいたもので……。
龍太に会った後の浩輔が友人達に「(龍太って)すっごいピュアなの」と言っているのを聞いて、「あんた騙されてるわよ……」と心の中で呟いていた私はいったい……。
結局のところ、龍太は本当にピュアな子だったわけで、まあ、だからこそ質が悪いとも言えるのですが、いい子のまま旅立ってしまいました。
そして浩輔は、龍太の母の面倒を見続けていくことになるのです。
浩輔がそこまでするのは、浩輔の生い立ちが深く関係しています。
龍太の母は、龍太が14歳の時に病を発症したのですが、浩輔の母は浩輔が14歳の時に亡くなっています。
14歳だった浩輔が母に対して何もできなかったことは、それはもう、満場一致で仕方ないことだと思います。
だからといって、浩輔本人が納得できないのも分かります。他人からしてみたら、そこまで引きずらなくても…と思ってしまいますがね。人の心はどうにもなりません。
そんな浩輔が、一人残された龍太の母を見捨てるなんて選択肢は、最初からなかったんでしょうねえ。たとえ、それがエゴだったとしても。
それに、始まりが浩輔のエゴだったとしても、龍太の母は、一人寂しく息を引き取ることなく、わがままを言う余裕さえ持つことができたのです。
浩輔も、少しだけですが、自分の母や、過去へのわだかまりがなくなったのではないでしょうか。
たとえ“母の代わり”“息子の代わり”だったとして、それの何がいけないのか。
代用品の愛だとしても、私には何が悪いのか、ちっとも分かりませんね。
あ~、結局私には、この映画のどこに「エゴイスト」がいたのか分かりません。
この映画のどこかに「エゴイスト」がいたなら、それが理解できない私は立派なエゴイストということで、「なんか私一人が損した気がする……」という感想に落ち着くのでした。
映画情報
製作国/日本
監 督/松永大司
出 演/鈴木亮平/宮沢氷魚/阿川佐和子
原作は高山真氏の同名小説です。
浩輔はファッション雑誌の編集ということで、ハイブランドのお洋服で身を固めています。
その高級服が彼の鎧となり、彼の心を守っているのですが、浩輔がそう語ったシーンを見て、作家の森瑤子さんの「毛皮と宝石が私の鎧」的な記述を思い出しました。
その一文が小説だったのかエッセイだったのかは、もう覚えていませんが、ファッションとは奥の深いものだなぁと思った次第です。
私はファストファッション専門なんですけどね……。
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