映画『コララインとボタンの魔女』ネタバレ感想 うまい話には裏がある

赤いボタン シネマ手帖・洋画
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ストップモーションアニメの最高傑作、と私の中で話題です。

アニメとはいえ、『コララインとボタンの魔女』は絶対に子供向けじゃないと思います。

これを子供向けと思って見ていない方がいるなら、もったいなさすぎます。

というわけで、『コララインとボタンの魔女』の感想を語りたいと思います。

いい映画だったよね~という方も、ごめん見てない! という方も、よろしかったら、お付き合いください。

ただし、ネタバレ・あらすじを含みます

お嫌な方はここまででお願い致しますm(._.)m

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『コララインとボタンの魔女』ネタバレ感想

記憶がおぼろになっている方&見ていない方のために、簡単なあらすじを。

両親と共にピンクパレス・アパートに引っ越してきたコラライン。アパートは古く、住人は変人ばかり。両親は在宅で仕事をしているが、仕事が順調とはいいがたく、コララインを構っている暇がない。不満だらけのコララインは、部屋の壁に小さなドアを発見。ドアの向こうには、もう一つのピンクパレス・アパートがあり、別のママとパパがいた。そこは現実とは大違いの素敵な世界だったが、その世界に住む人たちの目はボタンでできていた。

うまい話には裏がある…わかっちゃいるけど…

11歳のコララインは不満だらけです。

まあね、11歳にもなれば、いろいろあります。

まず、引っ越しがめちゃくちゃ嫌だったはずです。

元の土地では仲の良い友達がいたのですから、そりゃ引っ越しは嫌だったでしょう。

園芸ライターの両親の都合で引っ越してきたわけですが、両親の仕事はあまりうまくいっていないようで、コララインに構っている暇はないし、経済的にも逼迫しています。

せめて引っ越し先が、「素敵!」と叫べるような場所だったり、建物だったりしたらよかったのですが、これまた、ちょっと陰気に感じる土地の、築150年のボロアパート。

コララインのママは、さすがに娘に悪いと思う気持ちもあるのですが、ない袖は振れないし、現状を変えるために今を頑張っているのですから、仕方ない。

そう、大人は仕方ないと思えるのですよ。

でも子供は無理ですね。

私も小学校の高学年くらいの頃は、大人の頭はなんと固いのだろうと思っていたような気がします。大人だって子供の時があったのに、なんで子供の気持ちが分からないのだろう、とか。

コララインも、不満でパツンパツンに膨らんでいて、そこを魔女につけ込まれます。

魔女の世界は実に魅力的です。

そもそも、『壁紙に隠された小さなドア』なんてものが、ワクワクしちゃいますよね。

昼間は通れないのに、夜になると通れるようになるとかも、けっこうツボです。

そして、ドアを通って行った先のピンクハウス・アパートは、暖かな“マイホーム”という雰囲気にあふれています。

整頓されていて、壁紙も新しく張り替えられている?みたいだし、絵や花が飾ってあります。

そして、ボタンの目をしたママが、美味しい料理を作ってくれます。

荒れ果てていたはずのアパートの庭は、コララインの顔をかたどってガーデニングがされています。

何もかもが夜の遊園地のように魅力的で、素敵な空間なのです。

もちろん、これは罠だな~と、見ている私は分かっているのです。

タダほど高いものはないと、大人である私は分かっているわけなのですが。

ですが!

それでも、「ああ、もうずっと、ここに居たっていいじゃない」と、どこかで思ってしまうのです。

コララインの悩みとは違いますが、私だって悩みや不安を抱えて生きています。

言っちゃなんですが、子供のコララインより、大人の私の悩みのほうが、ずっと深刻じゃなかろうかと思うのです。

いや、子供は子供なりに、深刻なのは重々承知なのですが。

で、深刻な悩みを抱え、現実に疲れている大人としては、偽りとはいえ、悩みのない素敵な世界なら、ずっとそこに居たっていいじゃない。なんて思ってしまうのです。

詐欺に遭うときって、こんな心の隙間につけ込まれるのでしょうね(汗)

しかしです。偽りの世界って、結局は長続きしないのですよね。

無理に作られた世界ですから、そのうち綻びが出て、醜く崩壊していくしかないのです。

最初が美しければ美しいほど、崩壊していく様は、余計におぞましく感じます。

美しいもの、美味しいもので誘惑し、魔女はこれまでも3人の子供たちを捕まえ、目をボタンにし、魂を食べてしまいました。

この魔女、寂しいと言って子供をおびき寄せるくせに、子供を食べもするのです。

だますというより、本能のままに行動する、超絶自己中な人物なのです。

かわいそうなのは食べられた子供たちで、命が絶えてしまっても、目がボタンのままなので、天国へ行くこともできません。

暗示的ですね。

薄々真実に気付きながら、それでも易きに流されたままでいると、とんでもない代償を払わされることになる。

それは私だって分かってはいるのです。でも、人の心の弱い部分につけ込んでくる魔女のような人は、こちらの望むものを、よ~く理解しているのです。

そして、こちらの見たい夢を見させてくれる。

これに抵抗するのは、ちょっと難しいです。

コララインには愛するママとパパがいて、彼らを助けるために、心を強く持つことができた。

独り身の私は、どうやって心を強く持つべきか、ちょっと考えたいと思います……

魔女は消えた? いえいえ…

獲物を待つカマキリ

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さて、コララインを自分の物にしようとした魔女はどうなったでしょうか?

一見、コララインは、魔女に勝ったように見えます。

両親と、幽霊になってしまった子供たちの目を取り返したコララインを、魔女は手だけになっても執拗に追いかけてきました。

この手がまた怖い。縫い針でできた手です。その手を破壊し、ドアの鍵と一緒に、古井戸に投げ込むのです。

コララインは逃げ切り、平和な日々が戻ってきます。

めでたし、めでたし。

でもね、魔女は消えてなくなってはいないですよね?

魔女は死んでいない。深い深い井戸の底で、次にやってくる獲物をじっと待っているはずです。

大人なら、みんな知っていることです。

何年後か何十年後か分かりませんけど、必ずやまた、魔女は獲物を見つけるでしょう。

もしかすると、それはコララインの娘かもしれませんし、コララインのように、どこからか引っ越してくる子供かもしれません。

でも、もしかするともしかして、またもコラライン本人かもしれません。

時間とともに記憶は薄れ、一つの悩みが解決されても、次の悩みがやってきます。

弱さに流されていては、いい結果なんて絶対にやってこない。

そんな簡単なことを、人は、これまた簡単に忘れたりするのです。

ただ、コララインなら、また魔女と出会ったとしても、戦うことを思い出せるでしょう。

戦うしか道はない。

それだけ思い出せれば、その先に道はある…と思えるのです。

でも、私は、できれば捕まる前に気付きたい。なので、「魔女はいる」ということを、常に忘れないようにしたいものです。

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映画情報

製作年/2009年
製作国/アメリカ
監 督/ ヘンリー・セリック
原 作/ニール・ゲイマン

日本での初公開年は2010年です。

日本語吹き替えは、コララインが榮倉奈々さん、ボタンの魔女が戸田恵子さんです。

戸田恵子さん、すごくよかったです。コララインのママとボタンの魔女、どちらも戸田さんなのですが、母親のしゃべり方が、すごくあるあるに思えて、さすがだなぁと。

昔は字幕派でしたが、最近は、できれば吹き替え派になってきました。

吹き替えのほうが、元のセリフに意味を寄せているように感じます。

役者さんの生声が聞きたいという気持ちもあるし、どちらにするか、悩むところではありますけどね。

 

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