映画『はじまりへの旅』ネタバレ感想 パパはキャプテン・ファンタスティック

始まり シネマ手帖・洋画
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風変わりな父親のお話です。

なかなかにぶっ飛んだストーリーで、「え? マジで?」と思うシーンもあったりしますが、見終わった後は、なぜか美しいシーンだけが胸に残っていたりします。

というわけで、この映画の感想を語ってみたいと思います。

「見た見た!」という方も、「気になっていたけど見てないな」という方も、よろしかったら、お付き合いください。

ただしネタバレ・あらすじを含みます

お嫌な方はここまででお願いいたしますm(._.)m

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『はじまりへの旅』ネタバレ感想

記憶がおぼろになっている方&見ていない方のために、簡単なあらすじを。

ベンには18歳のボウを筆頭に6人の子供がいる。ベンと妻のレスリーは森を購入し、自給自足の生活を始めた。子供たちは学校へ行っていないが、長男のボウは名門大学に合格するほどで、他の子供たちも数カ国語を操り、哲学を語る。しかしレスリーはボウの出産後から双極性障害を患い、最後には自ら命を絶った。ベンは子供たちを連れてレスリーの葬儀へ向かうが、レスリーの父からは拒絶される。

パパはキャプテン・ファンタスティック

この映画、原題は『キャプテン・ファンタスティック』です。

誰がキャプテンかと言うと、もちろん父・ベンが家族のキャプテンですね。

このキャプテン、相当イカれています。

と言ったら、言い過ぎでしょうか?

ベンたち家族は森で生活しています。自給自足の生活で、肉も、自分たちで獲物を狩り、捌きます。

なにもかも自給自足で、子供たちの勉強は両親であるベンとレスリーが見ていました。

子供たちは哲学や文学、物理学を語れますし、体育は山道を全力疾走、ロッククライミング、ナイフを持っての喧嘩の実践。音楽もベンが教えたのでしょう、家族で歌ったり演奏したりを楽しんでいます。

いや、すごいな、と思います。ベンも子供たちも。

ベンが子供たちに質問して、子供たちが答えることに、私はぜんぜん答えられないし、子供たちの答えを聞いても、よく分からない(笑)

ただ、子供たちは外界とまったく接触がありません。精神的にも肉体的にも、毒になるものは排除です。

もちろんベンの方針です。

レスリーも最初は同じ方針だったはずです。

かつて、ベンの妹の夫が、ボウたちに砂糖のかかったシリアルを与えようとした時、レスリーは食ってかかったそうです。

教育方針はもちろん家庭ごとに違うでしょうが、たまの一回、よその家庭にお邪魔したときに、多少のことは目をつむってもいいはずです。

でも、レスリーに妥協はなかった。

そんなレスリーですが、長男が生まれて、もしかすると、自分や夫のやり方に疑問を持ち始めたのかもしれません。

そのための双極性障害だったのではないのかな。

その点、ベンは迷いがないというか、依怙地というか、頑固というか。娘が大怪我をして、最悪、命がなくなっていたかもしれないという目に合うまで、自分のやり方を曲げませんでした。

娘が大怪我をして、初めて、ベンは自分が間違っていたと認めます。

そして、子供たちを、妻の実家に預けることにしたのです。

レスリーの実家は裕福で、ボウを大学へやることなど余裕といった感じです。

ボウはすでに名門大学を受験し、合格通知を受け取っていました。

正直、見ていて、ここでちょっとホッとしたんですよね。

ベンの言うとおり、アメリカ社会は毒にまみれているかもしれませんが、その中で暮らしている以上、まったく接触しないで生きていくことはできないと思うのです。

そう思うと、外の世界を知らない子供たちを見ていて、不安になるのです。

ベン亡きあと、現金が必要になることもあるでしょう。

子供たちは、みんな利口だから、ちゃんと稼ぐことができるかもしれない。

でも、本で学んだ知識しかない子供たちが、あくどい人間に騙されてしまう可能性も少なくない。

騙され、利用され、他人との付き合い方を理解するようになった頃には、取り返しのつかない年になっているかもしれない。

そうなった時、子供たちは、ベンを恨むかもしれない。

実際、次男のレリアンは、すでに反発する姿を見せていましたし、ベンの片腕的存在のボウも、実はひっそりと、父のやり方に疑問を抱いていたようです。

大学受験をしていたボウですが、ベンにはまったく知らせていなかったのです。

旅の途中で、ボウも、気持ちを父にぶつけます。

その後、娘の怪我が決定打となり、ベンは子供たちを手放す決心をするのです。

しかし、キャプテン・ファンタスティックの子供たちは、もうすっかりファンタスティックに染まっていました。

父の運転するバスに隠れて乗り込み、ベンについてきていたのです。

そして、母・レスリーの遺言を実行しよう! と言うのです。

レスリーの遺言というのが、火葬にして、遺灰を人が多い場所のトイレに流せというものでした。

いやいや……火葬はともかく、なにもトイレに流さなくても……と思いますよね?

ベンはレスリーが仏教徒だと連呼していましたが、仏教徒は遺灰をトイレに流したりしませんから。

誤解を招くようなこと言わないでほしいわ(汗)

レスリーの遺言を実行する辺りは、本当にやるの~!? という感じで見ていましたが、子供たち、やっちゃいます。

いやいや、それって墓荒らしだよね? 犯罪じゃないの? なんて思いながらも、でも最後には皆笑顔で、まあいっか、と思えました。

海の見える丘?崖?でレスリーを火葬し、遺言通り、歌とダンスで見送ります。皆なぜかヒッピー風のファッションで、とても奇麗でした。

ベンは自分で、自分のやってきたことを、「間違っていた」と言いました。

回りの関係者、レスリーの父親とか、ベンの妹夫婦とか、あと私も、ベンのすべてとは言わないけど、やり方に間違いがあると思っていました。

でも結局のところ、なにが間違いだったかなんて、人生の終わりの終わりになってみないと分からないなぁと。

ベンの子供たちが、みんな、キャプテン・ファンタステックの子供で良かったと思いながらこの世を去るなら、ベンのやり方は間違ってなかったということよね、と思うのでした。

始めるには終わりが必要

旅立ちの日

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この邦題を考えた方は、どんな意味でこの題名にされたのでしょうね。

『始まり』とは、新たに始まる、人生の第2章ということでいいのかな。森を出て町に向かったことが、始まりへの旅だったということ?

結局のところ、母の葬儀から後、ベンたちは森に戻らなかったわけですから、始まりへの旅は、終わりへの旅とも言えそうですね。

その後のベン一家ですが、長男のボウは大学を諦め、ナミビアに向かいます。

残りの家族は、自然豊かな場所にいますが、明らかに森じゃない。

広い土地には畑があり、土地の一画には、旅を共にしたバスのスティーブが、鳥小屋として置かれています。

家は小さいながらも、ちゃんと壁も屋根もある、可愛らしい家です。

長男が出て行ったとはいえ、まだ5人も子供がいて、食卓は満杯。でも、とても静かです。

みんな、思い思いに食事をし、勉強をしています。

スクールバスが15分で来るそうですから、子供たちは学校へ通っているのでしょう。

森での生活とは違っていますが、ベンが子供たちに向ける眼差しは、森にいた頃に見せた眼差しと同じものでした。

生活が変わっても、中身はなんの変わりもないよ、ってことでしょうかね?

兎にも角にも、子供たちの未来に幸あれ。なのです。

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映画情報

製作年/2016年
製作国/アメリカ
監 督/マット・ロス
出 演/ヴィゴ・モーテンセン/ジョージ・マッケイ

日本での初公開年は2017年です。

「fantastic」というと、「素晴らしい」とか「素敵な」とかいう意味がすぐに浮かんできますが、他に「風変わりな」とか「空想的な」なんていう意味もあるそうです。

どの意味を当てはめるかは、見る人次第でしょうね~。

ちなみに私、この感想のしょっぱなに「風変わり」って言っちゃっていますね。今気付いた(汗)

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