1970年代が舞台のお話です。
2人の男性が、障害のある1人の男の子を引き取ろうとします。
「ああ、なるほど。その2人の男性を、偏見だらけの老人たちが邪魔するのね」と思った方、正解です。
ちょっと違うのは、邪魔する人間が「偏見だらけの老人たち」だけじゃないということですかね。
偏見は今でもありますが、70年代の頃なんて、差別される側から見たら、世界のほとんどが敵に見えたのではないでしょうか。
それでも人は生きていくし、自分の根っこを変えることもできない。だとしたら、戦うしか道はない。
というわけで、『チョコレートドーナツ』の感想を語ってみたいと思います。
「見たよ、この映画」という方も、「なんだかんだで、まだ見てないわ」という方も、よろしかったらお付き合いください。
ただしネタバレ・あらすじを含みます。
お嫌な方はここまででお願いいたしますm(._.)m
『チョコレートドーナツ』ネタバレ感想
記憶がおぼろになっている方&見ていない方のために、簡単なあらすじを。
ショウは続けなければならないんだ
いい話じゃないですか。
1人で子供を育てている女性がいます。
彼女は子供を愛していないわけじゃなさそうだけど、そもそも1人で生きていくことができないような人です。
薬に溺れ、男に頼り、なんとか生きている。子供はほぼ放置です。
こんなの、健常な子供でもつらいのに、マルコはダウン症です。つらいというより、怖いという感情のほうが大きかったのではないかな。
母親が逮捕されたとき、施設に送られるマルコに同情的だったルディですが、この母親に育てられるくらいなら、施設のほうがマシかもしれません。
しかし、たまたま隣に住んでいたルディがマルコを引き取ろうとしました。
ルディ自身、家賃を滞納ぎみで、経済的には苦しい。愛情はあっても、愛情でお腹は満たされません。残念ながら。
だけど救世主が現れました。ルディの恋人となったポールが同居を申し出てくれたのです。
ポールは検事局にお勤めなだけあって、裕福そう。
ああ、よかった! めでたし、めでたし!
といかないのが現実ですよね。
ルディとポールという、男同士のカップルに世間は冷たい。冷たいというか冷酷です。
まあね、世の中には変な人が多いですし、法は子供の安全を守らなきゃいけません。
ルディが本当にただの親切心からマルコを引き取るつもりなのか、マルコを養育し続けていけるのか、法廷は確認する義務があります。
だから、それだけを確認すればいいことなんですよ。
まあ、一応、確認はされていました。
ルディたちに引き取られてから通い始めた学校の先生と、ルディやマルコに状況を聞き取りにきた役所(?)の人は、法廷で、ルディとポールが親の責任を果たしていること、マルコに愛情を持っていること、マルコも二人の元で暮らしたいと望んでいることを、ちゃんと証言してくれたのです。
ただ、裁判の方向は、マルコでなく、ルディとポールの関係へと、どんどんシフトしていくのでした。
それはもう、根掘り葉掘りというか、とんでもない言いがかりというか、最初からゲイ2人に子供なんてやれるか! という考えがあるんです。
ルディとポールからマルコを取り上げようとしている人たちに、マルコという少年は眼中にないようでした。
彼らにとって、マルコは、「マルコ・ディレオン」と紙に印字されている名前でしかない。
彼がどんな子供で、どんなことを考えているかなんて、想像したこともない。
ルディがポールの家で同居を始めたとき、マルコにもマルコの部屋が用意されました。
棚にはマルコのためのおもちゃが置かれていて、マルコは棚の前で、「ここは自分のおうち?」と尋ねます。
ルディがそうだと答えると、マルコは泣き出しました。
ついでに私も泣いてしまいました。
母親と暮らしながら、そしてたぶん、マルコは母が好きだったにもかかわらず、自分の居場所がないと感じていたのですね。
いつもお人形を抱き締めているマルコは、人形にすがりながら、必死で恐怖や孤独と戦っていたのでしょう。
それを救ってくれる人が現れたのに、裁判所はなぜ、マルコをまたも闇の中へ突き返したのか。
はいはい、分かってます。ルディとポールがゲイだからですよね。
もうね、だからなんだ! としか言いようがない。
ルディがゲイであることをひた隠して生きてきて、偽装結婚をし、当然ショーパブで働いたり、シンガーを目指したりせず、普通と言われる会社に就職してたらよかったんですよね。
いやいやいやいやいやいやいや、いや!
そんなんで、生きてる意味なんかあるかーーーーーー!
と、声を大にして言いたいです。
ゲイとして生きるなら、子供を諦めなきゃいけないんですかね?
そこに助けを求めている子供がいるのに?
これまた、私は「否!」と言わせてもらう。
ゲイだろうがなんだろうが、ルディはマルコに出会ったし、マルコを引き取ると決めたんです。
ショーは続けなければならない。
映画の中でルディもそう歌っていました。
人生は止められません。心臓が動くのを止めるその日まで、人生は続くんです。
その最後の日まで、自分を偽りまくって生きるなんて、ルディは嫌でしょうし、私だって嫌だ。というか無理だ。
ルディは立派に戦った。戦いきった。
勝てはしなかったけど、悔しいけど、それだけは言えるのです。
マルコの『おうち』はどこだったの?
はい、ここから、思い切りネタバレなので、要注意です。
ルディたちはマルコを引き取れませんでした。
裁判なんて、しかも他国の裁判のことなんて何も分かりませんが、マルコの母親を早期釈放してまで、裁判所はルディにマルコを渡そうとはしませんでした。
釈放された母親は、裁判でもなんだかボンヤリしていて、状況がよく分かってない感じです。
でも母親が出てきた以上、当然、子供は母親の元へ返されます。ご丁寧にルディたちを接近禁止にまでして。
法廷にいた男たちにとって、話はこれで終りです。
マルコは実の母の元へ返されました。母も元通り、薬漬けで男を部屋に引き込みます。
男と母から部屋を追い出され、廊下で待つよう言われるマルコ。
マルコは言われた通り廊下で待つのですが、しばらくするとアパートを出てしまいました。
そして歩き続けるマルコ。
マルコは3日後、橋の下で亡くなっているところを発見されました。
アパートを出て、方向が分からなくなったらしく、3日間、家を探し歩いていたそうです。
でも、マルコの探していた家はどんな家だったのでしょうね?
お母さんのいるアパート?
ルディたちと暮らしていた場所?
ヤク中でなくなった母が待つ夢の家?
正直、私には分かりません。どれが本当でも切なすぎます。
ただ、マッチ売りの少女じゃないですけど、マルコが見た最後の光景が美しいものであったことを願うばかりです。
映画情報
製作国/アメリカ
監 督/トラヴィス・ファイン
出 演/アイザック・レイヴァ/アラン・カミング/ギャレット・ディラハント
日本での初公開年は2014年です。
重たい内容を含む映画ですけど、見終わった後の感触(?)はさらりとしています。
たぶん、マルコ役のアイザック・レイヴァさんの飄々とした演技のせいではないかな~と思います。
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