映画『ファーザー』ネタバレ感想 ラストにわき上がる怒りの正体はなんなのだろう?

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認知症の老人が主人公の映画です。

この映画の何がすごいって、認知症になった側から見た世界を描いていることです。

すでにそういう映画があるのかもしれませんが、私はこれが初めてだったので、色々と衝撃でした。

というわけで、映画『ファーザー』の感想を語ってみたいと思います。

ただしネタバレ・あらすじを含みます

お嫌な方はここまででお願い致しますm(_._)m

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『ファーザー』ネタバレ感想

記憶がおぼろになっている方&見ていない方のために簡単なあらすじを。

81歳になるアンソニーには愛着のあるフラット(家)があり、まだまだ1人で暮らしていくことができると思っていた。しかし娘のアンはそう思っておらず、夫とともにアンソニーのフラットに住み着いてしまったうえ、勝手に介護人を雇う始末である。もしやフラットを乗っ取るつもりなのかとアンを疑うが、現実はアンソニーの認識とはかけ離れたものだった。

ラストにわき上がる怒りの正体はなんなのだろう?

この映画を初めて見る人は、アンソニーと一緒に、不可解な現実に向き合うこととなります。

はい、私がそうでした。

一見、何も問題がないように映画は始まるのですが、娘・アンの思わせぶりな表情に「ん?」と引っかかってしまいます。

「ん? どういうこと?」ということが連続で起こり、早く納得のいく答えが知りたくてイライラします。

この「どういうこと?(困)」「なんなんだ?(怒)」というのはアンソニーの感情で、私はアンソニアーの感情を共有させられていたのですね。

すごく、うまいな~と思いました。

親の認知症問題は私も人ごとではないですから、認知症の親を扱った映画には興味がありました。

しかし、まさか、親側の“感覚”を描いて見せてくれるとは……。

認知症のご老人が攻撃的になることについて、私はその理屈を理解しているつもりでした。

そりゃ、自分のことが分からなくなってきたら、イライラして、怒りっぽくなるのは当然だよなと。

でも、この映画を見ていると、怒りより、不安のほうがずっと大きいのだと感じました。

通いで様子を見に来てくれている娘が、いつの間にか自分の家に居ついている。

しかも、知らない男が忽然と自分の家の居間に現れ、娘の夫だと言う。

ここは俺の家だぞと言うと、男は、自分の家だと言い返す。

話にならなくて、娘の夫でポールと名乗る男がアンに電話をし、アンが帰ってきます。

しかし、アンは知らない女の顔でした。

アンソニーが驚いていると、夫婦はコソコソと会話し、夫は気まずそうに台所へ逃げ、アンは父に優しく声をかけてきました。

アンソニーはたまらず自分の不安を口にします。1人でフラットにいると思っていたのに、いつの間にか、おまえの夫だと言う男がいて…と。

するとアンは、「誰のこと?」と不思議そうに訊ねるのです。

私は5年も前に離婚しているわよ、と。

訳が分からないですよね。

何か変だ、何かおかしい。時々アンソニーはそう口にします。

アンソニーの不安が私にも伝染してきますが、アンソニーの不安だけでなく、アンやポールの負の感情も伝わってきます。

父親がどんどんおかしくなっていくのを目の当たりにする子の心境たるや、地獄です。

大げさだと思われますか?

ところがどっこい。私は適切な言い方だと思います。誰よりも頼れる存在で、かつては自分が間違ったことをしたら叱ってくれ、時には議論もした愛すべき存在が、理性も何も失くしていく様を見るのは堪えがたいものがあります。

さらにアンソニーは、アンの聞こえるところで、「アンではなく、アンの妹のルーシーがいてくれたら」と配慮もなく言ってしまいます。

そして、言ったことを忘れてしまう。

忘れてしまうのは仕方ないことです。アンソニーも忘れたくて忘れているわけじゃない。

アンの夫のポールも、それは分かっているのですよ。

ポールこそ理解しているはずなのです。だってポールこそが「彼は病気だ。いずれは施設に行くしかない」と正論を言っているのですから。

そう、アンソニーの言動は、アンソニー自身にさえ制御できることじゃない。ポールは分かっているのです。

なのに、ポールは怒りに任せて、アンソニーを叩いてしまった。

「最低! 最悪!」というのは簡単ですが、ポールと同じ立場になったとき、私は同じことをしないと言い切る自信はありません。

他人であるほうが、身内であるより冷静でいられますが、ポールはアンと結婚して10年です。

認知症以前のアンソニーを知っているだけに、頭では分かっていても我慢できなかったのでしょう。

もちろん暴力は許せないことですし、たぶん、これがきっかけで、アンはポールと離婚したのだと思います。

ちなみに、ずっと夫のことをポールと書いていますが、本当はジェームズだと思われます。

アンの夫が現れて以来、ずっとポールと呼ばれていましたけどね。

ポールとはアンが離婚後に出会った男性です。近々に会った男性がポールなので、そうなったのかなと思います。

つまり、この映画は、最初からアンソニーの妄想なのです。「なのです」とか言い切ってますけど、少なくとも私はそう感じました。

映画が進むにつれ、少しずつ形を変えて、同じ日の出来事が繰り返され、登場人物が入れ代わります。

すべてはアンソニーの過去と現在、家族と知り合いが混じり合った妄想なのです。

ようやく妄想ではない、アンソニーの現在の姿が映し出されたとき、アンソニーは施設にいて、認知症がかなり進んでいることが分かります。

娘のアンが今どこにいるのか、自分がどこにいるのかも分からず、もう数週間も世話をしてくれている介護人の名前も覚えられず、最後には「自分は誰だ」と訊ね、「マミーに迎えにきてほしい」と泣くのです。

介護人のキャサリンは、そんなアンソニーに、痛ましげで優しげな視線を向けます。

たぶん、ここで泣ける人は多いはずです。私も泣きたくなりました。

でも、それ以上に、強烈な怒りを感じたのです。

子供みたいに泣くアンソニーを見て、それはもう、腹が立って腹が立って、いったいこの怒りはなんの怒りだと思ったわけです。

何に対して怒っているのか分からなくて、怒りのぶつけどころがなくて、この国の老人対策はどうなってんだよ、なんて、どこの国に向けて怒っているのかも分からず怒っていました。

見終わって考えてみるに、「人生の最後にこんな目にあうなんて理不尽すぎる!」という怒りなのだろうなと思った次第です。

アンソニーは2人の娘をもうけ、育て、自分の家も手に入れました。

アンの下の娘は事故で亡くなるという悲劇に見舞われましたが、それも乗り越えてアンソニーは生きてきました。

辛いことも嬉しいこともあって、すべてを乗り越え、自分の人生に誇りを持っていたことでしょう。

でも、今のアンソニーには、なんの記憶も残っていない。誇りに思ってきたことも、下の娘のルーシーがすでにこの世にいないことも覚えていないのです。

そんなアンソニーを見ていると、「人生ってなに? 私は何のために生きているの?」という問いが出てきたのです。

こう書いてみると、なんと若々しい問いであることか(笑)

でも、すっごく単純に、そう思ってしまったのです。そして、それは怒りという感情となって発露したわけです。

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アンソニーの世界でアンは

アンソニーを残して施設を出たアンは、タクシーに乗り込む前、怒りの籠もった表情で、父のいる施設を見上げていました。

これ、もしや、怒りの表情ではないのかもしれません。

人によっては悲しみと受け取るのかもな~とも思いましたが、私には怒りだと思えました。

家族を介護するとき、最後に残ったのが憎しみの感情だけだったという話は聞くことがあるし、これは致し方なしとも思います。

元夫の言うとおり、早くに施設へ入れておけば違う結末があったかもと思いますが、施設に入ったら入ったで、別の問題を引き起こしていたかもしれません。

認知症とは、家にいようと施設にいようと、結局は地獄となるなら、誰かこの病気をなんとかして! と大声で喚きたい気分です。

でも、ふと思ったのです。

もしも天に召される日まで頭がしっかりしていたとしても、人生の終わりには、どうしたって強烈な理不尽さや寂しさや怒りを感じるものなのかもしれない。

だとしたら、生きる意味ってなんぞや…と、やはり、この辺の疑問に立ち返るわけですね~。

アンソニーは去っていくアンに、涙ながらに寂しさを訴えました。

そんな父を見てアンも涙を流していました。私もここは泣いたな~。

泣いて娘に訴えるとき、アンソニーに父の威厳はありませんでした。でも、娘の涙を拭ってやるアンソニーには、娘に対する愛が感じられました。

この愛が数分後には忘れられているわけですが……。

父を施設に置いていくアンを責める人もいるかもしれません。しかもアンはイギリスを出て、新たに出会った男性と共にフランスで暮らしていくのです。

これまでのストーリーはアンソニーの視点で描かれているため、アンの努力は分かりやすく描かれてはいません。

それでもアンの苦労や、父への思いが分かります。彼女は最大限の努力をしたのです。

じゃないと最後にあんな顔しませんて。

父親を施設に入れたこと。アンはアン自身のために新たな道に進み出したこと。

それが正解なのです。というより、そうする以外にないのだと思います。

そうすることで苦痛がついて回るとしても、すべてはいつか無意味になるとしても、それでもです。

悲しい映画ではありますが、けっして嫌な気持ちになる映画ではなく、私もアンのように、怒りを前向きに発散できる人でありたいな~と思うのでした。

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映画情報

製作年/2020年
製作国/イギリス・フランス
監 督/フロリアン・ゼレール
出 演/アンソニー・ホプキンス/オリヴィア・コールマン

日本での公開は2021年です。

この映画、映像がなかなかにスタイリッシュです。

なにがスタイリッシュに見せているのかといえば、アンソニーやアンの、フラットのインテリアのせいなのだと思います。

アンソニーには自分のフラットもアンのフラットも区別がついていなかったため、かなり似た造りになっています。

もしアンソニーの目を通さないアンのフラットを見ることができたら、そこは似ても似つかない内装なのかもしれません。

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