高校3年生の女の子が主人公の青春映画です。
『レディ・バード』とは、その女の子が、自分で自分に付けた名前です。
繰り返しますが、高3にもなる子が自分自身に、「イケてる!」と思う名前を付けたわけです。
かわいいですね~(棒)
これ、絶対に、後々の黒歴史ですよね(笑)
この映画は、そんなおバカだった頃の、かつての自分も思い出させてくれる映画です。
“あの頃”を思い出して恥ずかしさに身悶えし、今の自分はあの頃の未来に立っているのだろうかと自省(笑)し、そして、心の底に沈んでいた記憶を懐かしく思い出すのです。
というわけで、映画『レディ・バード』の感想を語ってみたいと思います。
ただし、ネタバレ・あらすじを含みますので、お嫌な方はここまででお願いいたしますm(_._)m
映画『レディ・バード』ネタバレ感想
誰もが持っている“あの頃”への気恥ずかしさ
『レディ・バード』という題名を聞いて、私はどんな叙情的な映画なのだろうと思いました。
素敵な響きですよね、「レディ・バード」って。
素敵なので、それを自分の新しい名前にしようと考えたのがクリスティンです。
新しい名前ができたので、友達にも親にも教師にも、新しい名前で呼ぶよう強制します。
掲示板に張り出された名簿の中の名前にさえ、「レディ・バード」と書き足します。
ああ、やっちゃった…と初老の私は身悶えするわけですが、なぜクリスティンはこんなことをやってしまうのでしょうね?
実は、分かる気がします。
高校生の頃、私はなんの根拠もない自信にあふれていました。クリスティンもそうなのだと思います。
自信があるから、親のつけた平凡な名前はイヤ。中途半端な田舎なんてイヤ。文化のある土地こそ、この私に相応しい。
自信があるから、その思いを声高に叫んでも、恥ずかしいなんて感じない!
わははははは!!
若いですね~。怖いもの知らずですね~。
だがしかし、かわいらしいところもあるのですよ。
40区と呼ばれる住宅街?を歩いていると、レトロで立派なおうちがたくさんあります。
自分の家を、ふざけてスラムと呼ぶクリスティーンは、その中の一軒家をいたく気に入り、自分の家がここだったらと夢想します。
親友のジュリーも一緒です。
二人で、自分がこの家の子供だったら、なんて考えるわけです。かわいいです。
この二人の掛け合い、とても楽しそうです。
ジュリーと過ごした時間は、後々、思い出すたび胸が温かくなる記憶になるでしょう。
でも、それ以外は、だいたい、思い出すたび転げ回る記憶になるかなと。
母親とのやりとりも、その一つですね。
母親とは似たもの同士で、母とクリスティンはしょっちゅう喧嘩しています。
進学先をお金のかからない地元の大学にしてほしい母と、ニューヨークに行きたいクリスティン。
口喧嘩だけならともかく、激昂したクリスティンは走っている車から飛び降りたり、「私の養育にかかった費用を言って! 働いて返すから!」と叫んでみたり。
幸い、車から飛び降りたときは腕の骨折で済みましたし、働いて返すわよ発言のときは、母の、「返せるほどの仕事につけるの?」という言葉で返り討ち。
お母さん、ナイス(笑)
恋愛事情もドタバタで、好きになった男子といい感じだったのに、実は彼はゲイで、クリスティンの恋ははかなく散りました。
その後、バンドマンのカイルという男子に目をつけるのですが、彼に近づくため、ちょっとした嘘をつきます。
スクールカースト上位の女子と、友達であるかのように振る舞うんですね。
その嘘を本当にするために、カースト上位女子・ジェンナに近づき友達になります。
ジェンナと親しくなるにつれ、本当の親友であるジュリーは離れていくのですが、クリスティンはそのことには無頓着でした。
この年頃の特徴なのか、たんにクリスティンの性格なのか分かりませんが、クリスティンのやることって雑なんですよね。
ジェンナにもつまらない嘘を、たとえば、カイルと知り合いのように言ってみたり、憧れの家を自分の家だと言ってみたりします。
結局、嘘がばれてジェンナに責められ、カイルともうまくいかなくなって、喧嘩別れしてしまったジュリーに会いにいきます。
ジュリーとは仲直りできて、一緒にプロムに行くこともできました。
親友を取り戻すことができたこと。これがどれだけ幸運だったか、高校生のクリスティンには分からないかもしれません。
ほんとに雑に生きてます、高校生のクリスティンは。
見ていると気恥ずかしさを感じたり、「ああ、なにやっての!?」とハラハラしたりもします。
しかし、同時に、雑な生き方を軽々とやってしまう十代の怖いもの知らずが眩しく、また、羨ましくも感じるのでした。
誰もが持っている“あの頃”への郷愁
さて、そんなクリスティンも無事ニューヨークへと旅立ちます。
母親は相変わらずクリスティンに腹を立てていて、運転手として空港まで送ってはくれますが、見送りには来てくれません。
会話らしい会話もなく、母と別れるクリスティン。
クリスティンが去った後に母は泣きますが、クリスティンはどうだったのでしょうね。
このとき、クリスティンには新天地への希望やらがあり、母ほど悲しんではいなかったのではないかと思います。
しかし、誰も知り合いのいない新しい土地で、クリスティンは母からの手紙を読みました。
手紙は、母が何度も書き損じて、結局ゴミ箱に放り込んだのを、父が拾ってクリスティンの鞄にしのばせていたものです。
この手紙のせいなのか、新歓コンパのような飲み会の場で、彼女は名前を訊かれ、「レディ・バード」ではなく「クリスティンよ」と答えます。
さらに出身地も訊かれ、いったんは「サクラメント」と答えますが、「どこ?」と訊き返され、「サンフランシスコ」と言い替えます。
この辺りから、クリスティンは猛烈に寂しさを感じたのではないでしょうか。
井の中の蛙、大海を知る。そんな感じ?
訊き返してきた男子学生は、サクラメント自体を知らなかった。
クリスティンの声が聞こえずに、ただ聞き返しただけの可能性もありますが、クリスティンとしては、男子学生がサクラメントを知らないと思ったのです。
そして、咄嗟に、出身地を偽った。
これまで、中途半端だの田舎町だのと批判してきて、でもそれは、地元に対する愛なり、愛着なりがあってのことだったと、やっと分かったのでないのでしょうか。
サクラメントを知らない人の前で、ようやく自分のバカさ加減を悟ったのかもしれません。
飲み会の後、クリスティンは急性アルコール中毒?になって、病院に担ぎ込まれます。
一人で目覚め、教会へ行った後、家に電話をしたクリスティンは、留守電にメッセージを吹き込みます。
自分の本当の名前が好きなこと。母への愛や感謝。
そして、ニューヨークに旅立つ直前、初めて自分で車を運転し、町の景色を見たときの感動を伝えました。
何気ない町の風景が映し出されていくとき、私も、高校を卒業するまで住んでいた町の景色が大好きだったことを思い出しました。
私の住んでいた場所は、まさに「The・中途半端な田舎町」で、特別な風景なんてありませんでした。
日本中のどこにでもあるような風景で、例えば、古ぼけたバイパスが通っていて、そこから田んぼや点在する家々、遠くに薄墨で描いたような山の稜線が見える。
いたって平凡な景色に、季節や時間が光で色を付けていく。
それが、平凡だけど、とても綺麗だと感じました。
その記憶に意味はありません。
ただ、ときどき、その記憶を思い出すことがあっただけです。それらを思い出すとき、私はきっと嫌なことがあったのでしょう。そして、綺麗な景色の記憶に、癒やされていたのではないでしょうか。
若い頃の私には支えになった記憶なのだと思います。
たぶん、クリスティンにもそうなるのでしょう。
支えになった記憶を失くしても、いつの間にか生きられるようになった私は、やっぱり初老なのだなあと思いつつ、久しぶりに“あの頃”を切なく思い出すのでした。
映画情報
製作国/アメリカ
監 督/グレタ・ガーウィグ
出 演/シアーシャ・ローナン/ローリー・メトカーフ
日本での公開は2018年です。
「大人は分かってくれない」的な映画はいつの時代にもありますが、どうしたって時代背景が出てきますよね。
この映画の主役であるクリスティンの家庭は、クリスティンを好きな大学に行かせる費用がありません。
貧乏ではあるけど、お父さんもお兄さんも決して低学歴ではないのですよね。
お兄さんなんてカリフォルニア大学バークレー校を出ています。
高学歴の貧困って今どきだな~……と思ったのでした。
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