『ともしび』を見終わって思ったことは、「“ともしび”ってなに?」でした。
先に言っておきますと、この映画、私は大変面白かったです。
ただ、答えはない。答えもなければ、事実の提示も少ない。
なので、答えは自分で導き出さねばなりません。
というわけで、映画『ともしび』の感想を語ってみたいと思います。
「シャーロット・ランプリング、年を取っても美しいわ~」という方も、「途中から、答えが見られないパターンかもって絶望したわ~」という方も、よろしかったらお付き合いください。
ただし、ネタバレ・あらすじを含みます。
お嫌な方はここまででお願い致しますm(_._)m
映画『ともしび』ネタバレ感想
記憶がおぼろになっている方&見ていない方のために簡単なあらすじを。
“ともしび”とは? 誰にとっての? 答えのない推理小説
最初にも書きましたが、この映画、私には面白かったのです。
でもね、見終わって、「なんで題名が“ともしび”なの?」と思ったのですよ。
そして、「“ともしび”ってなにが? 誰の?」ってなったわけです。
『ともしび』は邦題で、原題は『Hannah』といい、主人公の女性の名前です。
つまり、日本で上映するにあたり、誰かが『ともしび』と題名を付けたわけですね。
見終わって考えたのはこうです。主人公のアンナは絶望のあまり命を絶つ決断をし、しかし最後の最後でそれを回避した。そこにかすかな希望、つまり“ともしび”を見た、ということなのだろうな~と。
そして、誰の“ともしび”かというと、それはもちろん、アンナの心に灯った“ともしび”ということなのでしょう。
いや、しかしですよ。
私にはとてもとても、“希望”の“ともしび”とは思えませんでした。
この映画では、アンナやアンナの家族に何があったのか、ほぼ説明してくれません。
なぜアンナの夫は収監されたのか。
夫はなんの罪を犯したのか。
アンナの息子はなぜ、かたくなにアンナに会おうとしないのか。
これらの問いに対して、ヒントのような出来事が少しあるだけで、私たちはそこから想像するしかないのです。
で、想像の結果、夫は子供に対する性犯罪で収監されたのだろうなと思ったわけです。
でも、アンナの息子のミシェルは、なぜ罪を犯した父だけでなく、母のアンナまでも遠ざけたのか。
まあ、アンナは夫をかばったのでしょうね……。
アンナの気持ちも分かりますが、それでも、被害者から目を逸らし続けるのはいかがなものか。
ミシェルがたとえ独身だったとしても父親を許せなかったとは思いますが、すでに結婚して子持ちの身としては、どうしたって許せるわけがありません。
たぶんですけど、夫が収監されることになったのも、ミシェルが原因じゃないかと思います。彼が証拠になるものを提出したとか、証言したとかじゃないですかね。
そこまで父に対する憎悪を募らせていた息子に、「私たちは家族よ、私はあなたの母親よ」と、アンナは電話で言い募っていました。
息子にしたら、こりゃアカンってもんでしょ。
母は現実を見ていない。だったら、父を制御する役には立たないし、それなら俺たち家族に近づくな、とも思うでしょうよ。
私も、夫の犯罪が何であるか気づく前には、「ミシェルの態度はかたくな過ぎな~い?」と思い、アンナを気の毒にも感じていたのですが、夫の罪に思い至ってからは、彼女の言動に夫の罪と同じおぞましさを覚えてしまいました。
とはいえアンナの苦悩も本物で、ミシェルにきっぱり拒絶された後、彼女はこの世から消える決断をしたのだと思います。
最後の挨拶のつもりか演劇サークルに出掛けたアンナは、途中で荷物を引っ掴み、教室を飛び出します。
そのまま地下鉄のホームへ向かい、階段を駆け下りていくときの表情、ホームに立つ後ろ姿を見て、彼女が今、決断したことを実行しようとしているのだと私たちは理解します。
しかし、アンナは、電車が自分の前に停車するまで微動だにせず、私たちは、とりあえず息をつくことができて、アンナはそのまま電車に乗り込みます。
ここで、“ともしび”と名付けた人は、アンナが思い止まったことで、そこに小さな希望を見たのでしょう。
でも私には、死にきれなかっただけで、ただ瀬戸際で踏み止まっただけの女の姿があるだけに見えました。
アンナが電車に乗り込んでもカメラはホームに残ったままで、アンナの表情ははっきりしませんでしたが、今思い返すに、呆然としていたような気がします。
あの電車、行き先はどこなのでしょうね。
彼女が帰宅するのに乗る、いつもの電車なのでしょうか。それとも、彼女も行き先を知らない電車なのでしょうか。
ここでも自分で答えを選ぶなら、私は後者を選びます。それがアンナの現在を暗示していると思うからです。
アンナはようやく現実の深刻さを理解し、しかもその現実に立ち向かうのに夫も息子も世間の手助けもない、自分1人で向き合うしかないのだと理解したばかりなのです。
なんと過酷な現実か……。
私、最初に「答えがない」と書きました。しかし、私には私の明確な答えが出てしまったわけで、アンナの過酷な現実に、私も彼女と一緒に呆然とするしかないのでした。
打ち上げられたクジラは

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さて、夫の犯罪を明示するシーンは少ないと先に書きました。
しかし、アンナが気持ちを吐露するシーンも少ないのですよ。
アンナは息子家族からだけでなく、世間からも距離を置かれています。
いや、距離を置かれているというのは控えめな言い方です。
息子からは拒絶され、家には無言電話があり、会員制のプールでは会員資格が取り消されてしまいました。
このプールで、受付嬢から会員証が無効になったと告げられたときのアンナの表情、ちょっと怖かったです。
理不尽に対する怒りなのかな~。しかし世間から見れば、いまだ夫と離婚もしていないアンナは共犯のようなものだしな~。
プールからの帰り道、もうアンナの表情は見えず、私たちは彼女の背中ばかりをずっと追っていくのですが、彼女の心の内がよけいに伝わってくるようでした。
このようにですね、アンナの気持ちは言葉でなく、彼女の表情や背中から読み取ることがほとんどです。
また、言葉でも背中でもなく、アンナの気持ちを伝えてくる描写があります。
アンナはアパートに住んでいるので、別世帯がアンナの部屋の上で暮らしているのですが、そこから水漏れがあり、天井に染みを作ります。
実際に自分にも同じことが起これば、ちょっとウツっぽくなる出来事ではありますけど、まあ、それだけのことです。
でも、この染みは、アンナの心がじわじわと、陰鬱な出来事により蝕まれていく象徴になっていくのです。
さらに、染みが、夫の犯罪をはっきり認識させるキッカケにもなっていくのですから、うまくできてるな~と思います。
また、もう一つ、アンナの内心を伝える描写が、浜に打ち上がったクジラの死骸です。
近くの海で、浜に打ち上げられたクジラがニュースになっていて、アンナはそれを1人で見に行きます。
広々した砂浜の向こうには団地のような建物が連なり、海のほうに目をやると、浜に横たわったクジラの死骸がありました。
回りにはアンナ同様、ぱらぱらとクジラを見にきた人たちがいて、クジラのすぐそばでは、立入禁止のテープを巻いている人たちが立ち働いています。
アンナは、なぜ、わざわざクジラを見に来たのでしょう。
ここに来るまでに、アンナはすでに、自殺することを決めていたはずです。
そんな決意をしたときは、思い出深い場所や、大切な人のところへ行きそうなものです。
実際、海に行く前に、孫息子の学校へ寄り、校庭で遊ぶ孫を遠くから見つめていました。
その後にクジラの死骸です。なぜでしょう。
行動の動機としては、ただ単に、耳に残っていたクジラのニュースを思い出し、ふらふらと足を伸ばしただけということなのかもしれません。
でも、映画を作る人の意図としては明確に、アンナの立場や心情を表現するためのシーンだったのだと思います。
仲間から離れて、たった1頭で、浜に打ち上げられたクジラ。そのクジラを遠巻きに見る人々や、事務的に淡々と作業をこなす人々。回りの風景は明るく、クジラの死骸以外は何も変わらない日常がそこにあります。
まさに今のアンナの姿です。
夫は収監され、息子からは拒絶され、会員制のプールでは資格を取り消されてしまった。
アンナはクジラを見てどう感じたのでしょう。
もちろん、アンナはクジラと自分を重ねたはずです。クジラを見るアンナの表情は、恐怖、嫌悪、怒り、なんてものが入り交じったものでした。
いや~、このときのアンナも怖かった。海風で髪がバッサバサになっているのも相乗効果で怖さが増しておりました。
ほら、人形浄瑠璃だかで、女性の顔が般若に変わるのがあったじゃないですか。ちょっと、あれを思い出しました。
アンナは老女ではありますが、若い頃は美しかっただろうと思われる人です。実際、アンナ役のシャーロット・ランプリングは壮絶な美女でした。
ちょっと話は逸れますが、いつも陰鬱な表情ばかりのこの映画の中でも、飼い犬を抱いて床に寝ころんでいるときのランプリングは、昔の面影を見せて美しかったです。
そんな美しかった彼女の恐ろしい容貌……。「ヒィッ!」ってなりましたよ……。
この後、アンナは飼い犬を手放して人に譲ります。本当に決意を固めたのだと思います。
そして、電車のホームへ駆け込むシーンへと続くのですが、今、ふと思ったのですが、電車へ飛び込むのを思い止まったのは、あのクジラを見たときの恐怖が蘇ったからかもしれないなぁ。
クジラを見た時いろんな感情がわいたでしょうが、その中には、一人で死んでいく恐怖があったと思うのです。
単純な死への恐怖だけでなく、家族からも社会からも見捨てられたままで、この世から消えてしまう恐怖がアンナを引き止めたのかもしれません。
と、まあ、つらつら感想を書いてまいりましたが、私の捉え方とはまったく違う捉え方の人もいらっしゃることと思います。
そもそも、“ともしび”と名付けた方と、それに「ん?」と思った私とでも、ずいぶん違う印象だったわけですし。
人それぞれの答えがあっていい映画、ということで、締めさせていただきたいと思うのです。
映画情報
製作国/フランス・イタリア・ベルギー
監 督/アンドレア・パラオロ
出 演/シャーロット・ランプリング
日本での公開は2019年です。
この映画に出てくるクジラについてですが。あ、しつこいですか、そうですか。でも書く。
クジラって群れで生活するんだっけ~と、うろ覚えだったので調べてみました。
アンナが見たクジラはマッコウクジラであり、彼らは年齢や性別によって暮らし方が変わるそうです。
大人のオスは単独行動が多くなるそうですが、メスと子供たちは群れを作って生活し、群れから離れたばかりの若いオスたちも、オス同士の集団を作り生活するようです。かなり社会的な生き物ですよね。
ほぼ群れることのないクジラの種類もある中で、マッコウクジラを選んだということには、やはり制作意図あったのでしょうね~。

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