教師だった松子という女性の、転落人生を描いた映画です。
転落人生を描いているのに、花や歌や、アニメーションをふんだんに散りばめた、キラキラでサイケな映像です。
おまけに笑える映画です。
笑えるのはキラキラ・サイケな映像のせい?
いえいえ、それだけではありません。愛を求め続けて転落していく松子の姿そのものが笑いを誘うのです。
というわけで、映画『嫌われ松子の一生』の感想を語ってみたいと思います。
「この映画、原作と違いすぎるって賛否なかった?」という方も、「この映画、テレビで放映が決まるたびに延期されてなかった?」という方も、よろしかったらお付き合いください。
ただし、ネタバレとあらすじを含みます。
お嫌な方はここまででお願い致しますm(_._)m
『嫌われ松子の一生』ネタバレ感想
記憶がおぼろになっている方&見ていない方のために簡単なあらすじを。
松子の一生とはなんだったのか?
薄幸の美女・松子の一生とは、愛を求め続けた日々でした。
誰だって誰かに愛されたいですし、必要とされたいですが、松子はきっと、そういう欲求が強かったのでしょう。
原因は父からの愛を感じられなかったことです。
松子には弟と妹がいましたが、妹の久美は病弱で、父の関心は久美にだけ向けられているように見えました。
実は松子もちゃんと愛されていましたし、弟の紀夫が松子のように屈折していないところを見ると、紀夫は父からの愛情を感じていたのでしょう。
ただ久美は病弱なため、親としては、そのぶん余計に心配するのは当然ですし、親のそんな姿を、姉とはいえ、まだ子供だった松子が寂しく感じるのも仕方のないことです。
そこで「お父さん、贔屓しないで!なんで妹にばっかりお土産あるの!?」なんて怒って、父親と喧嘩できるような娘なら、あんな転落人生を歩まなかったと思われます。
いや、ほんと。きれいに転がり落ちていくのですよ、松子は。
父の望むとおり教師になった松子ですが、生徒の窃盗事件を隠蔽しようとして自分が窃盗を働いてしまいます。
それがきっかけとなって学校はクビになるし、父からはひどく責められるしで、松子は家を飛び出します。
父から責められたのは窃盗事件についてではなく、窃盗事件で庇ってくれた青年教師からデートに誘われたことを久美に話したからです。
この先、恋なんてできない久美になんてひどいことを!ってなわけです。
このセリフだけなら、ちょっと良い話だな~、お父さん優しい人だな~って思うのですが、言った相手が松子だから救われない。
そもそも松子が窃盗を働いたのも、遠因には父の存在があるのです。
松子かわいそうだわ~と思っている間に、松子は光の速さで男のところへ転がり込みます。
男といってもデート予定だった青年教師ではありません。どこで知り合ったのかは分かりませんが、八女川という小説家の卵です。
展開早すぎんだろって感じですよ。
そしてね~、この八女川が、またとんでもないクズ男で。
俺は太宰治の生まれ変わりだとか言う男ですよ。そんで松子にソープいって働けって言う男で、DV男ですよ。
あげく、松子の前で自殺する男です。
次の男は、八女川のライバル的存在である岡野です。岡野もまたクズい。この男、妻がいる分際で松子を愛人にします。松子に手を出したのは、“八女川の女”だったからという理由です。
よくある話ですが、岡野は八女川の才能に嫉妬していて、八女川の女を自分のものにすることで優越感を得ていたのです。クズだ~。
しかし、松子が自分の家庭を破壊しようとしているのを知り、速攻で松子を捨てました。
この後も松子は男を渡り歩き、風俗に身を落とし、ヒモとなった男を殺してしまい、出所後は極道の女になり、最終的には極道からも捨てられて自暴自棄に……と負のスパイラルです。
原因は、松子の「殴られても1人ぼっちよりマシ」という言葉に表れています。
これは極道の男と付き合い出したときに言っていた言葉です。とにかく松子は愛がほしい。だから好きと言ってくれる男に、とことんのめり込んでいく。
普通は1回でも裏切られたら、次からは警戒しますよね。だって辛いから。心が痛いから。
男に騙され裏切れ、松子だって傷つかないわけがありません。というか、はっきりしっかり傷ついています。
でも一人になることのほうが、さらに辛いのです。地獄なのです。
じゃあもう割り切って、「とことん男を利用してやる!」とならないのが松子のいいところ?で、好きと言ってくれる男にとことこん尽くすピュアさ?です。
松子の行動原理は何が正しいかではなく、男がやれということをやる。男が良しと言ったものを良しとする。常識とか法律とか、そんなもの関係ないのです。「人としてどうなの?」ということも、松子は一生懸命やりとげます。だからソープでも成績優秀でした。
そんな松子を見ていると笑えてくるのです。ときには「ぶはっ!」と噴き出してしまうほどです。
本当は笑い事じゃないのですが、この映画の作りは、見る側が簡単に松子と同調できないようになっています。
ミュージカルの主人公になっている松子に同調できます? むりむり。松子が一生懸命になればなるほど笑ってしまいます。
さすがに松子が、「なんで!?」と自分の不幸を嘆くシーンでは胸が痛みますが、彼女の立ち直りの早さにより、胸の痛みは光の速さで消え去ります。
松子が不幸になるのは、この立ち直りの早さも原因の一つだと思うのです。
“なんで”私はクズな男ばかりにひっかかってしまうのか?
“なんで”男は私と付き合うとクズになってしまうのか?
そんな方向で、立ち直る前に考えることができていたら、松子の一生は53歳では終わらなかったのではないかと予想されます。
で、挙げ句の果ては、あんなに恐れていた“ぼっち”となって、深夜、河原で遊んでいた中学生たちに暴行を受けて亡くなりました。
この映画の中で、ここのシーンだけは嫌悪感を覚えたなあ。
松子だって人をあやめた過去がありますし、どんな理由があっても犯罪は犯罪ですから、許されることはないのですけど……。中学生たちには、どんな理由もなかったからなあ……。
映画の最後で、松子の意識は彼女の実家へと戻り、自分に向けられた父や弟の笑顔を見ます。憎しみの対象だった妹も「おかえり」と言ってくれ、松子は「ただいま」と答えます。
青い鳥は自分の家にいたってやつですね。
松子の求めた愛は本来、ちゃんと彼女の家の、彼女のそばにあったのです。
ほんと、よくある話すぎて、つまらない回り道をしてしまったよな~と思うのですが、人間ってそんなもんです。
と、個人的には思います。
うまくいっている人は、それはもちろん本人の努力や思考のたまものであり、称賛されるべき素晴らしいことです。
が、うまくいかない人は、努力しても性格や運に左右されて、松子のように転落していくこともあるのです。
松子だって父に愛されようと努力しました。ただ努力の方向が間違っていたのですね。父のいい子ちゃんになろうとせず、父への不満をしっかり口にしたらよかったのに。
つどつど不満を口にして、いくらでも親子喧嘩でガス抜きをしていれば、そのうち不器用な父の愛に気付けたかもしれません。
父から愛されていることをちゃんと実感できていれば、松子は家を出ることもなかったのです。
家を出なければ、松子は教職をまっとうすることができたかもしれないし、安定した仕事のままなら、いかず後家となり、いつまでも愛する父と暮らし続けたかもしれません。
いかず後家ともなれば、父のいい子ちゃんではいられないし、父から呆れられたかもしれません。
「おまえは、いつ嫁にいくんだ?」という嫌味が、父と松子の間で定番のジョークになったかもしれません。
そんな父と松子を見て、弟は呆れて笑ったかもしれません。妹の久美は、いつまでも姉ちゃんがそばにいてくれて嬉しい、と言ったかもしれません。
破天荒な人生を送った松子が好きという人からみれば、そんな人生はまったくもってつまらないと感じるかもしれませんが、松子が望んだ人生は、本来そういうものだったのではないかと思うのです。
「つまらん人生」は誰に向けて言った?

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松子の人生を「つまらん人生」と言ったのは、松子の弟の紀夫です。
あらすじで触れましたが、この映画のストーリーは、松子の死後、紀夫が自分の息子である笙に、松子の住んでいたアパートの部屋を片付けてくれるよう頼むことから始まります。
笙はそのとき初めて、自分には松子という伯母がいたこと、彼女が過去に蒸発したこと、数日前に遺体で発見されたことを聞かされました。
そして紀夫は帰り際、笙にというより、独り言のように、「つまらん人生たい」とつぶやいたのです。
正直、紀夫だけは松子をどう罵ってもいい権利がある気がします。人を罵る権利なんてあるわけないのですが、心情的には、私は「ある」と言いたい。
松子は昭和22年生まれなので、紀夫は25年くらいの生まれです。
姉が蒸発したとか、犯罪者になったとかですと、時代的にかなり辛い思いをしたと思います。就職や結婚がすんなりいかなかったとしても不思議じゃありません。
しかも、松子の出奔のせいで父は心労で亡くなり、病弱だった妹は精神的にも追い詰められました。
そんな一家の苦境も、長男である紀夫の肩にずっしりとのしかかったはずで、そりゃあ松子を恨んで当然です。
でも、松子が亡くなったとき、紀夫もすでに50歳になるかならないか。そんな年にもなると、罵る言葉より「つまらん人生たい」というつぶやきが出てしまったのですね。
その言葉は、もちろん松子に向けて言ったものなのですが、そこには自分に対する気持ちもあったんじゃないかな~と思うのです。
松子が家を出たあと、紀夫は地元に残って世間の目から家族を守り、家を支えて懸命に生きました。
辛かったとは思いますが、決して自分の人生を卑下はしてこなかったと思う……のですが、松子の遺骨を抱えて息子のアパートまで来るうち、むなしく感じるものがあったのかな~と。
さらに、松子の事情を知り始めた笙が、紀夫から「松子は人を殺したことがある」と聞いたとき、大変嬉しそうに「すげえ」とつぶやきまして。
紀夫は息子の、「すげえ」を聞いてどう思ったのでしょうねえ……。
私は最初、腹を立てるか?と思ったのですよ。
いや、「なんじゃ、そりゃ…」と、またもむなしくなるか?とも思いました。
ですが、もしかすると、ひょっとして、ちょ~っとだけ、心が軽くなったのじゃないかなあという気もしたのです。
紀夫の過去の気持ちが報われるわけでもないし、川尻家から犯罪者が出た事実も消えませんが、でも一瞬、「ああ、そんなもんか」って心が軽くなったのではないかな~と。
結局のところ、どんな一生を送ろうとも、人生の終わりには虚しさを感じるのかもしれないと、老人になりかけている私は思います。
だからこそ、笙の言葉が、紀夫の救いになっていたらいいな~と願います。実際、彼の人生はつまらなくなんかなかったですから。
そして、自暴自棄になりかけていた笙にとっては、松子の一生が救いになっていたらいいなとも思います。
夢破れて目標もなく、何もすることなく生きていた笙に、松子は確かな起爆剤になったはずです。
この先、笙は奮起してバンドを再開するかもしれないし、まったく違う道にいくかもしれません。どちらにしろ、人生はどうあっても続いていくし、辛いことがたくさんあります。
生まれてくるときも大変だけど(覚えてないけど)、生き続けることはさらに大変です。
映画の最後に、荒川の風景を流して見せるのは、それでも人生は続いていくということを言いたいのだろうなあ、と思った次第です。
映画情報
製作国/日本
監 督/中島哲也
出 演/中谷美紀/瑛太
原作は山田宗樹氏の同名小説『嫌われ松子の一生』です。
公開当時、私は映画も見ていないし、小説も読んでいなかったのですが、「原作と違うじゃん!」論争があった記憶があります。
原作を愛している人からすると腹立ちもあるでしょうが、どちらが良いかは見る人が決めればいいよね~と思うのです。
この映画、主人公の松子は大変運の悪い女性ですけど、映画自体も運が悪かった。
かつて、テレビでの放映が2回中止になりました。
私、1回目のときに見てたのですが、急に特別番組に切り替わってしまい、「なんで!?」と松子のようになりました。
改めて放映してくれるのを待っていたのですが、私が再放映の計画も知らないうちに、その計画もまたお流れになり、さらに後日、深夜枠で放映されたそうです。
全然知らなかった。
もしや松子の呪い?とさえ感じられますねえ。
配信サービスで見られるようになって、本当によかった。
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↓同監督によるロリータ・コメディ映画


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