言わずと知れたゴジラシリーズです。
ウィキペディアによりますと、本作はシリーズの37作目であり、ゴジラ生誕70周年記念にあたる作品だそうです。
なので、コアなファンもいる中、私などが感想を述べてもいいのだろうかとビビりつつ、こっそり語ってみたいと思います。
私と同じく「ゴジラ映画、見たことあるな~」というくらいの方も、「特撮って興味ないな~」という方も、よろしかったらお付き合いください。
ゴジラは架空の存在ですが、この映画では終戦間際から終戦直後の人間模様も描かれ、それらはけっして架空のものではないのです。
ただしネタバレ・あらすじを含みます。
お嫌な方はここまででお願い致しますm(_._)m
『ゴジラ-1.0』ネタバレ感想
記憶がおぼろになっている方&見ていない方のために簡単なあらすじを。
ゴジラとは不幸の体現である…とコッソリ言ってみる
諸姉の皆様。皆様は、特撮はお好きですか?
私はとくに好きでも嫌いでもなく、面白そうなら見るという感じです。
で、このお話は面白そうだなと思ったわけですよ。
この映画の時代設定は戦中・戦後なのですが、特撮映画にしては意外だなって思いません? まず、そこから興味を引かれた気がします。
あ、でも、ゴジラは放射線を浴びて怪物になってしまった(と思われる)わけですから、戦争にからめてくるのは、そんなに筋違いでもないのかもしれませんね。
『-1.0』の主人公は、特攻の生き残りの青年です。
この青年とゴジラがどう関係してくるのかというと、青年は特攻の命を受け、敵艦に向かっていくところだったのです。
しかし彼、敷島という青年は、敵艦に突っ込むことができませんでした。怖かったのです。
だから機体が故障したといい、守備隊のいる大戸島へ不時着しました。
当然、機体に不備はなく、整備兵たちが敷島に向ける視線は不信感や軽蔑を滲ませていました。
いや~、居たたまれませんね~。
中には、敷島へ慰めるような言葉をかける人もいましたが、そこに親しみは感じられなかったなぁ。仕方ないことだとは思いますが。
しかし、敷島は死の恐怖から逃れてきたというのに、大戸島でゴジラに遭遇します。
そして、ここでも敷島は逃げてしまうのです。ゴジラが上陸してきたとき、敷島は橘という整備兵から、零戦の20ミリ砲でゴジラを撃ってくれと頼まれます。
大戸島には整備兵ばかりで、それができるのは敷島しかいませんでした。
ですが敷島は恐怖から撃つことができず、やはり恐怖から、整備兵の1人がゴジラに向かって発砲してしまい、結局、生き残ったのは敷島と橘だけでした。
橘は敷島が許せませんでしたが、敷島も生き残ってしまった自分を受け入れられないでいました。
東京に戻ってからも悪夢にうなされ、本当に自分は生きているのか、実は大戸島で亡くなっていて、今の生活は自分の亡骸が見ている夢なのではないかと口走ったりします。
後悔とか、PTSDとかいう言葉で表すのもはばかられる心情ですよね。本当に戦争とは悲劇の固まりでしかないです。
でも、そんな敷島の前に、再びゴジラが現れるのです。
しかも、ビキニ環礁で行われた核実験で放射線を浴びたため巨大化し、熱線まで吐く怪物に変貌したゴジラがです。
怖いですね~。
でもね、こんなことを書くと怒られるかもしれませんが、敷島にとっては幸運だったのかもしれません。
彼にとって、戦争は終わってなんていませんでした。
そこにゴジラが現れた。
どうしたって過去は変えられません。彼が特攻できなかったことも、大戸島で仲間を救えなかったことも消えません。
ですが、ゴジラを駆逐することで、気持ちに区切りを付けることはできる。
多くの人は、戦争というとんでもない悲劇から受けた傷を、人生を終えるその日まで抱えたままです。
それからみると、敷島はまだ幸運だったと言ったら、サイコな言い分でしょうかね?
どう思ったにせよ、あんなにもゴジラを恐れていた(当然ですけど)敷島は、ゴジラ駆逐作戦に参加するとともに、自ら申し出て、戦闘機に乗り、ゴジラを海に誘導する役目を引き受けます。やる気です。
幻の戦闘機“震電”でゴジラを海に誘導する敷島、格好よかったですよ。
そして、最終的には敷島の“特攻”により、ゴジラは吹き飛びました。特攻とはいえ、敷島はぎりぎりのところで脱出し、生きて帰ってきたのです。
ゴジラ駆逐作戦、大成功です。
と思っていたら、やはりというべきか、海の深い深い場所で、ゴジラの破片が再生するような動きを見せていました。
すぐにではないにしろ、いつかまた、ゴジラは帰ってくるのでしょう。
「いつか」は半年後かもしれないし、十年後かもしれないし、あるいは五十年先かもしれません。
それでも、ゴジラの存在はいつもそこにあるのです。
でね。これって、不幸に似てるな~、と思ったわけです。
私たちが感じるこの世の不幸って、決してなくなることがありません。
今が幸せだとしても、それは不幸が消えてなくなったわけじゃなく、遠く離れた場所にあるだけです。
そして、いつかまた、不幸は帰ってくる。
ということは、ゴジラって、この世のすべての不幸を体現している存在なのかな~なんて、徒然なるままに思ってしまった次第です。
典子の痣の意味 衝撃に備えよ!
さてさて、みごと“特攻”を果たした敷島青年ですが、彼が強くなった理由に典子という女性の存在がありました。
彼女は敷島の家に、孤児となった女の子をつれて転がり込んできました。
その後、なし崩し的に3人家族のように暮らしていましたが、戦争を引きずったままの敷島のせいで、本当の家族にはなれないでいました。
そうこうしているうちにゴジラが上陸し、仕事で銀座に出ていた典子は爆風に吹き飛ばされてしまい、誰もが典子は亡くなったと思ったのです。
しかし、典子は大怪我をしながらも生きていました。
彼女が生きていると分かったのは、敷島たちがゴジラを倒した後でした。
いや~、敷島の戦争は終わったし、典子は生きていたし、よかったよかったと思ったら、典子の首筋になにやら黒い痣のようなものが浮き出てきます。
最初はね、ケロイドかと思ったのですよ。彼女はゴジラが発した放射線を浴びたはずですし。そうなると、それはそれで大変なことなのですが、どうも違う。
だってケロイドは動きませんよね。典子の首筋の痣は、にょきにょきと動いていました。
なんなんだろな~と思って、後で調べてみましたら、実はこれ、ゴジラの細胞が入り込んだようなのです。
な、なんだって~~~~!?
ゴジラシリーズはほとんど見ていないので、そんなものがあるなんて、まったく知りませんでした。
放射線を浴びた人間の将来も心配ですが、ゴジラの細胞を取り込んでしまった人間なんて、心配などというレベルじゃありません。
彼女が人類の敵になっていく可能性だってあるわけです。
ゴジラという不幸はいつか帰ってくるのだろうと思いましたが、いやいや、敷島にとっては最大級の不幸がやってくること確定です。
同時にそれは、人類にとっても、恐ろしいことになるに違いありません。
典子がどんな存在になっていくのか、分からないだけに恐ろしく、私たちはいつかくる衝撃に最大限備えておかなくてはならないのです。
ああ~、次回作が楽しみです~。
映画情報
製作国/日本
監 督/山崎貴
出 演/神木隆之介/浜辺美波
たくさんの素晴らしい役者さんが出演されている映画ですが、群衆のシーンになぜか橋爪功さんがどんっと映っておられましたよ。
え? え? 本物? なに? 次回作の伏線? と思いましたが、単に橋爪さんのミーハーだったらしいです。俺も出せよ~~~的な。
いや、もう、伏線でいいじゃないですか。ねえ?
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