サンドラ・ブロックという美人が、美人に見えないコメディ映画です。
この映画、もっと昔の映画のような気がしておりましたが、2001年公開でした。
意外と最近の映画…と思いきや、2001年って21年前になるのですね。
この感覚、初老あるあるですね~(汗)
というわけで、この映画について語ってみたいと思います。
「いやいや、どう見たって美人は美人でしょ?」という方も、「あんな美人がコメディ?」という方も、よろしかったらお付き合いください。
ただし、ネタバレ・あらすじを含みます。
お嫌な方はここまででお願いいたしますm(_._)m
『デンジャラス・ビューティー』ネタバレ感想
記憶がおぼろになっている方&見ていない方のために、簡単なあらすじを。
美人が美人に見えない演技力よ
グレイシー役のサンドラ・ブロックは美人です。
美人でなければグレイシー役はできないので当然なのですが、どうにも美人に見えないのがすごい。
FBI捜査官というのはエリート中のエリートですが、エリートにも種類がありまして、例えばグレイシーの同僚のマシューズは女性にモテて、公私ともに充実しております。
ひるがえって、グレイシーのほうは、仕事一筋と言えば聞こえはいいですけど、私生活は壊滅的に何もない感じです。
それもそのはず、人との付き合い方が下手で、容姿にまったく構わなくて、食べ方が汚くて、笑うときに鼻を鳴らすという、「あ~あ~」と言いたくなる人です。
でもね、あれだけの美人が、見ている人に「あ~あ」って思わせるって、すごいと思うのです。
いや、美人だからこそ、そう思うのでしょうか?
まあ、とにかく、グレイシーは自分の外見なんて気にしていません。頭にあるのは仕事で出世することのみ。
そんなグレイシーが、唯一の取り柄の仕事でもミスを犯してしまい、上司に「事務でもやってろ」と言われてしまいます。
捜査に参加するためには、軽蔑していたミス・コンにも出場するグレイシー。
とはいえ、そのままで「ミス」は無理ですから、紹介された美容コンサルタントのヴィクターに改造計画を依頼。
グレイシーがエステだなんだと施されているシーンは、まるで改造人間を作るショッカーの秘密基地のようでした。
そして、秘密基地から出てきたときの、グレイシーの美しく格好良いこと!
さすが美人の面目躍如と思ったのも束の間、目玉を飛ばしそうな勢いで盛大にこけてくれました。
美しく着飾っていても、「キレイ!」と継続して思わせてくれないのは、さすがの役者根性でしょうか?
そして、さらには、グレイシーの喪女ぶりまで体現してくれます。
同僚のマシューズに誉められかけたら、小学生のように彼をからかいます。
「私にキスしたいでしょ~♪」なんて、かわいいと言ってよいのか、痛々しいと言ってよいのか……
いや、痛々しいのですけどね。
グレイシーの痛々しい発言はさらに続きます。友達はいらないと明言し、ミスコンはハナから軽蔑していて、そのことを隠す気もありません。
でも、実は私も、ミスコンに対して、あまりいい印象はありませんでした。
この映画は20年以上前のものですけど、当時でさえ、ミスコンは時代後れって雰囲気がありました。
いや、美を競うのはいいのですが、美の基準も多様化しましたし、フェミがどうとかいうより、ほんと「時代遅れ」って感じで。
しかしですよ、どんな世界、どんな業界であっても、真面目に一生懸命に取り組んでいる人たちがいて、そんな人たちを知ってしまったら、もうバカになんてできないですよね。
私はハワイ代表の言葉に感動したなあ。
別の州の代表が「自分の意見を堂々と発表する」と言ったら、ハワイ代表が、「小さな州の代表にはとても意義のあることだ」と言ったんです。
私、ミスコンを、地元の声を全国に届ける場とするなんて、想像もしませんでした。
それに彼女たちは、本当に世界平和を心から願っています。
それが意味のあることかどうかは置いておいて、希望を持って、なにかしらの行動を起こすなんて、実に素晴らしい。
若いうちはこうでなくちゃ。
と、まあ、ちょっと感動した次第です。
皮肉屋のグレイシーですが、ミスたちと過ごすうちに、本気で彼女たちを守りたいと思うようになります。
事件は予想外の方向へ進むのですが、グレイシーは彼女たちを守りきるし、準ミスにもなれましたし、念願の彼氏もできました!
でも、グレイシーが手にした一番の成果は、友達ができたことじゃないかなと思います。
彼女は、ミスたちから「ミス・ベストフレンド」に選ばれます。
ミスコンに参加する前の彼女からは想像もつかない称号です。
“自分は特別で、孤高の存在で、友達なんて必要ない!”
ミスコン前、いえミスコン途中も、そんな感じのグレイシーでしたが、ミスたちは、グレイシーを優しく楽しい人だと思ってくれました。
そんなふうに思われたら、イヤミばかりも言っていられません(笑)
しかもね、この経験から、この先のグレイシーは、友達にも恋人にも不自由することはないと思われます。
イヤミを言う前に、相手を知ろうとすること、相手に敬意を払うこと、そうすると、自然と関係は動き出すことが分かったんですからね。
あとは、あの鼻を鳴らす笑い方をどうにかすれば、完璧です。
ほんと、美人がやるから、破壊力がハンパないのですよ……
初老に響くビクターの存在
ヴィクターは凄腕の美容コンサルタントです。
干物女のグレイシーを「ミス・ニュージャージー」に作り上げたほどの凄腕です。
ですが、彼はほぼ「過去の人」になりかかっていました。
どんなに輝いていた人でも、時代とともに消えていくことはありますよね?
人は変わらなくとも、時代は変わっていきます。
つまり時代後れ、というやつになるわけです。
時代にうまく適応していける人もいますが、ビクターはそうじゃありませんでした。
自分の理想とするミス・アメリカ像を崩す気はなかったのでしょう。
それはそれで一つの生き方ですが、強情を通すことは、つらいこともあるわけですよ。
「彼はもう終わり」「過去の遺物よね」なんて悪口が耳に入ったりもしたんじゃないかな?
そんなときは、どんな人だって悔しいし、情けない。
もうこんな業界から足を洗おうかしら、なんて思っても、やっぱり生きていくためには仕事も必要です。
年とともに、だんだん先も見えてきて、私はこのまま終わっていくのかしら、なんて思いも出てきたりして。
勝手な想像をしていますが、初老の身には、ビクターがちょっと諦めような表情をするとき、こちらも一緒に切なくなるのですよ。
なので、グレイシーの準優勝はビクターの手柄でもあり、グレイシーにおめでとうと言うと同時に、ビクターにも、やっぱり続けていくことに意味があるよね!とお祝いの言葉を述べたくもなるのです。
映画情報
製作国/アメリカ
監 督/ドナルド・ペトリ
出 演/サンドラ・ブロック/ベンジャミン・ブラット/マイケル・ケイン
日本での公開は2001年です。
この映画の原題は『Miss Congeniality』で、作中では『ミス・ベストフレンド』と訳されていました。
馴染みのない単語だし、言いにくいし、言い替えてあって分かりやすかったです。
でも、邦題の『デンジャラス・ビューティー』よりは、原題のほうが内容にしっくりくる感じですね、やっぱり。
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