レオ様ことレオナルド・ディカプリオの出世作です。
もうレオ様って言わないですか?(汗)
そこは許してもらうとして、レオ様はこの映画でアカデミー賞にノミネートされ、当時は、主役のジョニー・デップより注目されました。
でも、こうして、時間が経って見直してみると、やっぱりデップ演じるギルバートが染みてくるのです。
この先の感想にはネタバレ・あらすじが含まれます。お嫌な方は、ここまででお願い致しますm(._.)m
『ギルバート・グレイプ』ネタバレ感想
記憶がおぼろになっている方&見ていない方のために、簡単なあらすじを。
生まれる場所を選べない私たち
当然ですけど、人は生まれる場所を選べません。
そして、最近、「負け組」「勝ち組」なんて言葉を聞きますが、生まれ落ちた場所や家で、その組分けが、すでにされている場合があります。
悲しくて残酷だけど、事実ですよね。
ギルバートの生まれ育った町エンドーラは、眠っているような町です。
人の出入りは少なく、めぼしい産業もなく、当然、働く場所は限られています。
もちろん、その中で事足りる人ならいいのです。
自分で選んだ結果、眠っている町で暮らしている。それならOK。問題ありません。
でも、ギルバートは?
ギルバートには選択の余地がなく、家に縛りつけられています。
彼の母は、過食の末、一人では生活もできないほどに太ってしまいました。
問題は心のほうにあるのですが、とにかく太りすぎてしまって、健康を害する恐れがあります。
相談できる病院はないのでしょうか?
また弟のアーニー。彼はもうすぐ18歳ですが、中身は未就学児くらいに見えます。
重い障害だと思うのですが、行政には頼れないのでしょうか?
母親がアーニーを溺愛しているから、遠くの施設に入れることはできないにしても、近くに、日中預けられる場所とかないのでしょうかね?
ないのですよね、田舎だから。
昼間、アーニーをどうしているかというと、ギルバートが職場に同伴出勤しています。
ギルバートは、地元の、小さな食料品店で働いています。店の経営者はグレイプ家の状況をよく知っているので、弟を連れてくることにも寛容です。
ですが、国道沿いに大きなスーパーマーケットができたため、食料品店は青息吐息。先行きは暗そうです。
お姉さんのエイミーは失業中ですが、動けない母親の代わりに、家事全般を担当しています。
もし、エイミーに働き口が見つかったとしても、家のことは誰が?
妹のエレンは高校生で、反抗期のため口が悪かったりしますが、ちゃんと家の手伝いもしているし、アルバイトもしています。
アーニーの面倒だって、それなりに見ています。ギルバート的には不満みたいですけどね。
この上、家事のすべてをエレンに押しつけるのは酷というものです。
結局、お母さんに立ち直ってもらうしかないのですよね。
さて、ここで、もう一つの組分け要素。この家、この両親のもとに生まれてきた是非です。
映画を見ている間に分かるのですが、ギルバートたちの父親は、17年前、なにも言い残さず、家の地下室で自ら命を絶ちました。
母親は、それ以来ショックで過食に走り、7年前からは外出することさえなくなりました。
たぶん、両親は悪い人たちではなかったのだと思います。
ただ弱すぎた。せめてお母さんだけでも、もう少しだけ強かったらなと、思わずにはいられません。
あちこちにある小さな優しさ

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反面、ありがたいことに、小さな町の良さというものもあります。
食料品店の経営者は、アーニーが、店で自由に振る舞っていても、咎める視線さえ向けません。
また、アーニーは町の給水塔に何度も登って叱られるのですが、アーニーが無事に下りてくると、町の人たちは拍手をしてくれます。
この場面、笑ってしまいましたが、ギルバートと保安官には笑い話ではありませんね。
ギルバートの友達もいいやつらです。
とくに、一緒にバーガー屋へ就職しようと誘ってきたタッカーは、ギルバートだけでなく、ギルバートの家族も思いやってくれます。
ギルバートが母親を悪く言ったりすると、優しく諭します。
お父さんが亡くなった地下室へ、うっかりギルバートに入ってこいと誘ってしまった後には、申し訳ないことを言ったと謝ります。
でも、それはギルバートの家の修理のためだったので、タッカーが謝ることじゃないと思ったのですけどね。優しい男です、タッカーくんは。
そんな小さな優しさがあって、ギルバートも救われていたのかもしれません。
悲しみに満ちた解放、それでも風は吹く
しかし、ギルバートの生活は変わりません。
変わることと言えば、お父さんが建てた家が、あちこち傷んできたことくらいです。
一軒家のメンテナンス費用ってばかにならないんですよね。生活し続けるって、本当にお金が掛かります。
ただ、嬉しい変化が一つだけありました。
それはベッキーと知り合ったこと。
ベッキーはエンドーラを通過するだけだったのですが、乗っていたトレーラーが故障し、直るまで滞在せざるを得なくなったのです。
いろんな場所へ行っているというベッキーに、ギルバートが惹かれるのは、当然というより必然ですね。
ギルバートは、自分の母親を恥ずかしいと思っていたのですが、その母にも、ベッキーを会わせます。
そして、これが母にとっても、大きな転機でした。
夫が亡くなって17年、彼女だって、自分の現状がいいわけないと思っていたのです。
でもあまりに長い時間のせいで、きっかけが掴めなくなっていたのではないかな?
それが、ベッキーに会った日の夜、いつもソファで座ったまま寝ていた母が、二階へ上がり始めました。
普通の体形の人には、なんてことない行動です。
でも、200kgを超える人には至難の業です。実際、彼女が二階のベッドで横になるときは、疲労困憊していました。
子供たちが甲斐甲斐しく母の世話をし、母はギルバートに、おまえは光り輝く王子様だと言いました。
その言葉がギルバートの救いになったらいいのですが、残念ながら、次の朝、お母さんは亡くなります。
ギルバートたちは、母を好奇の目に晒したくないと、家ごと燃やしてしまいました。
すごく象徴的ですよね。
足枷となっていたもの、お母さんも、お父さんも、お父さんが作って、お母さんが離れられなかった家も、すべてが燃え尽きました。
悲しいけど、これで良かったと思います。
もし、ベッキーが何事もなく、エンドーラを通りすぎていたら?
ギルバートも母も、ベッキーに会うことなく、何も変わらないまま、ゆるやかに時間をかけて、破綻に向かったことでしょう。
他の可能性を考えても、あまりいい想像はできません。
ギルバートは優しすぎるんですよね。
望むにしろ望まないにしろ、ギルバートは解放されました。
彼が心になにを抱えていたとしても、それに病むことさえなければ、やっていけるはずです。
ちょっとだけ強くなればいいのです。
お母さんを反面教師にして、生きていってほしいな~と思います。
映画情報
製作国/アメリカ
監 督/ ラッセ・ハルストレム
出 演/ ジョニー・デップ/レオナルド・ディカプリオ
日本での初公開年は1994年です。
この映画、原題を『What’s Eating Gilbert Grape』と言います。
意味は『ギルバート・グレイプを苦しめているもの』とか『ギルバート・グレイプを悩ませているもの』とか、そんな意味だそうです。
ギルバートを苦しめているものは、一言で言うなら「愛」かなぁ?
なんちゃって。
お後がよろしいようで……
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↓人間ではないけれど、やはり切ないジョニー・デップを見られる映画

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