面白い映画です。
喜劇か悲劇かと言われれば断然喜劇。でも、ほろ苦い。
中高年には、この“ほろ苦さ”が心地よいかと。いや、私がそうだっただけなのですけどね。
というわけで、映画『15年後のラブソング』の感想を語ってみたいと思います。
「イーサン・ホーク、いい男よね~」という方も、「この映画って小説っぽいよね~」という方も、よろしかったらお付き合いください。
ただしネタバレ・あらすじを含みます。
お嫌な方はここまででお願い致しますm(_._)m
『15年後のラブソング』ネタバレ感想
記憶がおぼろになっている方&見ていない方のために簡単なあらすじを。
三者三様の人生模様、誰に共感するかは気分次第?
この映画には3人の人生模様が描かれていますが、主役はアニーなんだろうなと思います。
『15年後のラブソング』という邦題の主語はアニーです。
映画の本編を見る前は、ミュージシャンであるタッカー・クロウが15年ぶりに新作を出したという意味だと思っていたのですが、彼が新作を出したのは25年ぶりです。
アニーが新しい恋に踏み出したのが15年ぶりですから、この邦題はアニー視点で付けられたものと考えられます。
というわけで、アニーは15年という期間、夫婦同然に暮らしていたダンカンと、40歳を目前にして別れるのです。
ありがちと言えばありがちな話ですが、やっぱりね、普通に、地方の片隅で暮らしていると、なかなか動き出すことはできないものです。
アニーには仕事があって家があって、同棲中のパートナーもいる。安定しているだけに、その安定をぶち壊してまで動き出すには勇気がいります。
でも、徐々に変化していく心持ちは、変化のない現実と合わなくなってくる。
ジレンマですよね。
子供でもいれば余計なことを考える暇はなかったかもしれませんが、この子供問題がまたアニーを悩ませていたのです。
若い頃のアニーは子供を望んではいませんでした。パートナーのダンカンもです。
それが、今やアニーは子供が欲しくて、ダンカンは昔のままです。
ダンカンにそれとなく、子供を作りたいと言ってみたこともあるのですが、スルーです。ガン無視です。
そして昔と同じく、「子供なんて」「親になんてなるもんじゃない」「こんな世の中に子供!?」なんて口走るダンカン。
子供を持つ持たないは個人の自由だと思うのですが、上記のような言葉を恥ずかしげもなく他人の前で口にする、たぶんアラフォーのダンカンは正直イタい……
良く言えばダンカンは子供のような人です。あ~、「子供のような」という形容は良くは言ってないでしょうか?
とにかく、良くも悪くも子供のような人なのですよ。
仕事は大学で、今どきのアメリカ文化の講師をやっていて、プライベートでは心酔しているミュージシャンのファンサイトを作り、ファン仲間と議論したりしています。
アラフォーになっても好きなことだけをしている男です。
ある意味、羨ましかったりします。そう思うせいでしょうか、ダンカンはけっこうなクズ夫なのですけど、なぜか憎みきれない。
どれだけクズかというと、ダンカンは別の女性と関係を持ってしまうのですが、それを早々にアニーに告げてしまいます。一夜の過ちだ、とか言って。
いやいやいやいや、しでかしたことが重たくなっちゃって、アニーに丸投げとか卑怯千万。
「僕は正直に言ったよ? 許してくれるよね?」ってことですか、そうですか。胸クソですね。
もちろん、そんなことが許せるわけもなく、アニーはダンカンを家から追い出します。
でも、アニーの家が気に入っているダンカンは、家を出て行くときに、ちょっとゴネるのですよね。僕たち急ぎすぎてない?って。
いやいやいやいやいやいやいやいや、どんだけ~!? びっくりしすぎて死語も出るってもんです。浮気した側が言うセリフではありません。
アニーの心中を察するに余りありますが、こんな出来事の間にも、アニーとミュージシャンのタッカー・クロウが急接近するのです。
タッカー・クロウはダンカンが心酔しているロッカーです。アニーは会ったこともない“タッカー・クロウ”にうんざりしていたのに、一人の男性としてのタッカーに惹かれていきます。
そして、彼との子供を作ることを考え始めます。
ただ、タッカーにはすでに子供がいるし、子供の母親はアメリカにいます。タッカー自身アメリカ在住です。
今現在のタッカーは独身ですが、これまで、事実上含めた何人もの妻がいて、子供がいて、簡単に「好きになったから一緒に暮らそう」とはいかないのです。
アニーはタッカーに家へ戻るよう言い、タッカーはアメリカへ戻っていきます。
それを知ってか知らでか、いや、知った上でだと思いますが、浮気相手の家に転がり込んでいたダンカンが、またもアニーに接近してくるのです。
一夜の過ちとか言っていたくせに、浮気相手とくっついていたのもクズいですね。
で、なんて言ってアニーに近づいてきたのかというと、やり直そうと、子供を作ろうと言ってきたのですよ。
なんだ、コイツ?
アニー曰く、「タッカーが私と仲良くしたからでしょ」ってことです。
う~わ。でも私もそう思います。そしてタッカーは息子をつれてきていたのですが、これも影響していると思いますよ。
憧れの人に子供がいる~。なんかカッコイイ~。俺も子供作ろ~、的な。
ここまでバ〇だと、逆に清々しいですね。いや、嫌味でなく。
ダンカンのようにふわふわ生きられたら、人生楽しいだろうなと思います。アニーに振られた瞬間はつらい思いもしたでしょうが、たぶん懲りてません。そのうち、また復活してきますよ。
さんざんボロクソに言ってきましたが、ダンカンみたいな生き方もありだなと思います。
アニーはというと、彼女もいろいろ吹っ切れました。
「これだけたくさんのキッカケがあれば、そりゃね~」と思われるかもしれません。パートナーの浮気、思いがけない出会い、数日だけど子供との生活。
でも、彼女を動かした一番のキッカケは、エドナという84歳の女性の言葉だと思います。
エドナは、やらなかったことが一番の後悔だと言いました。うん。分かる。分かることが切ない。
その後、アニーは故郷を出て、新しい仕事を得て、子供を作る準備を始めます。
そしてタッカーと再会します。
アニーの中では、いろいろな計画が進行中でした。でも、その計画の中に、タッカーとの生活が組み込まれているのかは分からなかったです。
アニーにはアニーの、タッカーにはタッカーの生活ができあがりつつある今、単純に一つ屋根の下で暮らすというのは無理があります。
もしかすると、タッカーの末息子のジャクソンがある程度大きくなる頃、例えば大学生になるくらいのタイミングで同棲する可能性はあるのかな~、なんて思います。
まあ、勝手な想像ですけど。
それより、再会したときのアニーとタッカーの表情、すごくよかったです。それが見られただけで私は満足です。
アラフォーのアニーとダンカン、もう少し年上のタッカーの生き方には共感できる部分があって、誰のどの部分に共感するのかは、見る側の年齢や状況、つまりはタイミングにあるのかな~なんて思う次第です。
インゲン豆に喜びを見いだせる人生
誰のどの部分に共感するかといえば、女性ということで、アニーには多々共感する部分があります。
しかし、私は年齢が近いせいか、タッカーの気持ちに同化するところが多かった。
え~、まず、ダンカンが大好きだった“タッカー・クロウ”とは、実に感傷的なミュージシャンでした。
彼の出したアルバム「ジュリエット」は、別れてしまった美しい恋人のことを歌ったものです。題材からして感傷的ですね~。
そして、このアルバムを最後に“タッカー・クロウ”は表舞台から姿を消してしまいます。
とはいえ、もともとマイナーな分野の有名人ですから、消えたからといって、マスメディアに追いかけられて、その原因を突き止められることもありません。
おかげで、ダンカンみたいなコアなファンたちは、ネット上で自分たちの憶測を得意気に話し合って楽しめたわけです。
で、のちにタッカーは、アニーに消えた理由を話します。
「ジュリエット」の題材になった恋人はジュリーといいますが、ジュリーは別れた後、タッカーの子供だと言って赤ん坊を手渡してきたのです。
ライブの休憩中、トイレでですよ。
そして、赤ん坊をタッカーに抱かせて、ジュリーは消えてしまいます。
これ、彼女はどういうつもりだったのでしょうね? タッカーに自分の子供だと自覚してほしくて、ほんの少しの間だけでも2人きりにしたかったのでしょうか? それとも、ただただ彼に押し付けたかっただけ?
それは分かりませんが、結果として、混乱したタッカーは赤ん坊をトイレに置いたまま逃げ出してしまったのです。
パニックをおこす気持ちは分かりますが、まあ、最低ですよね。
幸い、この赤ん坊はちゃんと育ったようで、不幸な人生を送っているわけでもないようです。
でも、このせいでタッカーはライブ会場からだけでなく、音楽活動からも逃げ出してしまいました。
赤ん坊を見捨ててしまったという事実の前に、感傷にどっぷり浸った歌なんて歌えません。悲惨な現実を前にして、感傷的な失恋歌は、逆に笑えてきませんか?
そんなわけで、彼は歌えなくなってしまい、その後は酒や薬に溺れて、結婚したり別れたり、ジュリーとの赤ん坊以外にも、母親違いの子供が4人もできたり、その間もずっと、罪悪感や後悔に浸っていたわけです。
タッカーの後悔は、赤ん坊を捨てたという事実から始まっていますが、これ、人によっては、同じことをしても、ケロッと生きていけたりしますよね。
なんだか理不尽だな~と思ってしまいます。
そりゃ、タッカーは悪いですよ。悪いですが、人生の大半を棒に振るほどの悪事だったのかな~、と思ってしまう。
もっとやりようはあったはずなのに、タッカーの性格なのか何なのか、まあ、ひどい人生になってしまったわけです。
そんなタッカーが浮上していくキッカケとなったのがアニーです。
2人は、ダンカンの作ったファンサイトで知り合いました。サイト上でアニーがタッカーを酷評し、それを見たタッカーが「正解だ」とメールを寄こしたのです。
そこからアニーとタッカーはメールをやり取りし、出会い、最終的には愛し合うようになったのですね。
で、タッカーのその後を私たちが知るのは、もちろんダンカンのサイトを通してです。
なんとタッカーは25年ぶりに新作のアルバムを発表しました。
しかしです、タッカーが姿を消した後もずっとファンだったダンカンの感想は、「クソだ」だそうですよ。
まあね~。そうでしょうね~。
感傷にどっぷり浸れる前作と違い、新作は「午後の読書の楽しみを歌った曲」や「自家栽培のインゲン豆の曲」等々、生活感にあふれています。
ダンカン曰く、「惨めな作品」ですって。
ダンカン君の気持ち、痛いほど分かりますよ~。キミにとっては残念なことだったでしょう。
でもねぇ、ある日気がついたら、おじいちゃんになっていたというほど、罪の意識で人生の大半を呆然と生きてきた男が、午後の読書に幸せを見いだせたり、自分で育てたインゲンへの愛着を噛みしめられるようになったのだとしたら、これは泣きたいほどに嬉しいことですよ。
ああ、彼は幸せになったんだなあと、自分のことのように嬉しいし、自分のことのように泣きそうになります。
まあ、ダンカン君には、私の感じたような気持ちは分からないでしょう。
私の気持ちは分からないかもしれませんが、たとえ、こき下ろしであっても、タッカーについて、新たに語ることのできたダンカン君は幸せなのじゃないでしょうかね。
自分が幸せだったと気づくのは、きっと、もっと後になるのでしょうけどね。
映画情報
製作国/アメリカ・イギリス
監 督/ジェシー・ペレッツ
出 演/ローズ・バーン/イーサン・ホーク/クリス・オダウド
日本での公開は2020年です。
原作はニック・ホーンビィ氏の『Juliet, Naked』です。
探してみたのですが、翻訳はされていないようでした。
映画を見ている間にも、これ絶対原作の小説あるよなと思ってしまった。
もしも、この先、この小説が翻訳されることがあれば、ぜひ読んでみたいものです。
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