映画『冬の旅』ネタバレ感想 汚れちまった“自由”ってやつに今日もワインの降り注ぐ

空のワインボトル シネマ手帖・洋画
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永遠のテーマ、「自由とはなんぞ」という映画です。

です、とか勝手に言い切っておりますが、この映画を見て、私はそんなことを考えてしまったわけです。

「自由に生きた~い!」とは誰しもが考えます。しかし、簡単にそうできないのが自由の重みってもんですよ。

というわけで、映画『冬の旅』の感想を語ってみたいと思います。

「わ~、古い映画に古いテーマだね~」という方も、「おお、アニエス・ヴァルダ監督ではないですか」という方も、よろしかったらお付き合いください。

ただしネタバレ・あらすじを含みます

お嫌な方はここまででお願い致しますm(_._)m

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『冬の旅』ネタバレ感想

記憶がおぼろになっている方&見ていない方のために簡単なあらすじを。

ある寒い朝、畑の脇で女の遺体が発見された。警察は、流れてきたホームレスが寒さに耐えきれず亡くなったのだろうと結論付けた。彼女の名前はモナ。ヒッチハイクと野宿の日々を繰り返しており、どこから来て、どこへ行くつもりだったのかは誰も知らない。モナに出会ったある女性は、「彼女は海からきたように思える」と語った。

汚れちまった自由ってやつに今日もワインの降り注ぐ

モナは18歳でした。

若いって無謀ですよね。

もちろん、すべての18歳が無謀ではありませんが、18歳のモナは無謀でした。

その結果が映画の冒頭に示されます。

寒さ厳しい朝に、彼女は凍てついた体で発見されたのです。もちろん息はしていません。

なぜモナは、そんなふうに亡くなってしまったのか。その理由を、モナが亡くなる前に出会った人々が語ってくれることで、私たちは知ることができます。

一言で言うなら、モナは「自由に生きたい」という思いで放浪していました。

テントを背負い、ヒッチハイクで移動し、途中で「旅行かい?」と聞かれれば「キャンプなの」と答えていました。

キャンプと聞いた人たちは皆一様に、「この寒いのに?」と驚きます。

そりゃそうですよね。日本でだって、真冬にキャンプするなんて聞くと、物好きだな~と思いますもん。あるいは、よほどのキャンプ好きとか。

まあ、最近はそんな人も珍しくないですよね。動画で見るだけなら、私も冬のソロキャン、けっこう好きです。

でも、モナはキャンプ好きには見えません。

モナがどういった人間なのか、旅の途中でモナの面倒を見てくれた、かつては哲学の先生だったという男性の言葉が的確だと思われます。

この先生、モナと出会ったときはすでに先生ではなく、山羊飼いとなっておられました。

先生と奥様の2人だけで100匹ほどの山羊を飼い、鶏や犬もいて、羊を捌いているシーンもありましたから、羊も飼っているのでしょう。

哲学の先生が山羊飼いなんて、想像力が刺激されますよね。だって180度の転身ですからね。きっと紆余曲折あったことでしょう。

そんな紆余曲折があったせいか(勝手な想像で言ってます)、ヒッチハイクでやって来たモナを泊めてくれましたし、辛辣な態度ながら親身に世話もしてくれました。やっぱり人生いろいろあった人(勝手な想像)は優しいです。

ただね、モナがね……。

モナの言うことは、けっこうカッコいいのですよ。冬の旅は好きよ、とか、誰に何を言われても気にしない、とか、好きなことをして自由に生きる、とか。

でもねえ、「ジャガイモを育てて暮らすのもいいわね」なんて言うから、先生が真に受けて土地を提供してくれたのですが、モナは苗一つ植えません。

山羊の乳で作ったチーズを売りに行ってくれるよう頼んでも、逆に、こっそりチーズを盗んで、自分で食べたりします。

何もしないモナに先生は「よし、話し合おう」ですって。どこまで良い人なんだ。私なら「出てけ!」ですよ。

そんな良い人に対しモナの返答は、「あんたの意見を押し付けないで」「私は好きに生きる」ですと。

いやいやいやいやいや、違いますやんって話です。

自由に生きることとワガママに生きることは違うのですよ。

どう生きるもその人の勝手ですが、他人を搾取して生きる権利なんて誰にもありません。

先生夫婦の好意に甘えて、住まわせてもらい、食べさせてもらい、「ジャガイモを作りたい」と言えば土地も提供してくれました。

しかも育て方まで教えてくれるっていうのですよ?

それなのにモナは、「私には向いてない」「できない」「生き方を押し付けないで」「自由に生きる」

先生はこう言います。「現実逃避だな」

うん。そういうことなのでしょうね。

モナは冬のキャンプが好きな人ではなく、楽な方へ流れていくだけの人なのでした。

不思議なのですが、楽なほうへ楽なほうへと進んでいくと、けっこうな地獄が待っていたりします。

いや、不思議じゃなくて必然なのでしょうけど、若い頃はそのへんの道理が分かりません。

結局、モナは映画の冒頭で見た通りの最期を迎えます。

この映画は40年前の映画で、もしかすると現在、リアルでモナのような子がいたら、なにかしらの病名が付けられて保護されるのかもしれません。

でもねえ、例えばモナが現在に生きていて、病の名のもとに保護されたとして、彼女はじっとしているでしょうかね。

私の勝手な想像ですが、モナは結局、好きなように振る舞う生き方しかできないのではないかと思います。

たとえ病名がついたって、心の奥底にあるものまでは病名で括れないのです。げに恐ろしきは人の業です。

哲学の先生から怠け者だと断じられたモナは、他にも、スズカケ(プラタナス)の研究をしている教授から「私の秘書になる?」と言ってもらえたり、「おまえの面倒はみてやる」と言ってくれたモロッコ人がいたりしました。

まあ、モロッコ人の男は簡単にモナを放り出したので、どのみち当てにはなりませんでしたが、モロッコ人を雇っていた夫婦に誠心誠意お願いすれば、たぶん引き続き雇ってくれた気がします。

雇い主夫婦の旦那のほうは、あからさまにモナを悪く言っていましたが、どこか気にかけてくれているようでもありました。年の近い娘さんがいましたし、悪く言うといっても、心配の裏返しだった気がします。

モナがいなくなった後、あの子はどうしているかなと呟く旦那さんは、けっこう良い人です。

というわけで、モナさえその気になれば普通の生活ができたのに、彼女はどんな目にあっても放浪を続け、最終的には見るからにホームレスとなり、たどり着いた村でワインを浴びせられ、亡くなりました。

モナが最後にたどり着いた村では、ちょうどワインの収穫祭の最中で、仮装した人たちが通行人にワインを浴びせていたのです。

つまりはモナだけを狙ってしたことでも、悪意があってやったことでもなかったのですが、事情を知らないモナには、その行為は恐怖でしかありませんでした。

正直、私も少々怖かったです。だってお祭りらしい音楽もなくて、変な格好をした人が襲いかかってくるのですよ。こえーよ。

モナは本気で怯えてしまい、たどり着いた畑でこけちゃって地面に倒れ込み、元々空腹だわ、前夜から寒くて凍えていたわで、ついに力尽きてしまいます。

倒れ込んだモナの表情は歪んで、唇は強い感情に震えていました。その感情を私は怒りだと思いましたけど、どうだったのでしょうね?

自由に生きた結果、最後に感じたものが怒りだったとしたら、モナは事切れる瞬間、自分の生き方を後悔したでしょうか?

間違った自由を振りかざしたあげく、泥とワインにまみれて終わる18年の人生。

客観的に見て、悲惨でしかない人生の終わり方だと思うのですが、それでも、たぶんモナは後悔しなかったのではなかろうか。いや、たぶんじゃなく、絶対してないよな~、と私は思うのでした。

 

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それでも“自由”に憧れる

モナは自由の意味をはき違えていて、彼女の迎えた最期は、本人にとっても不本意なものだったかもしれません。

それでも、あれが彼女の生きたかった人生なのでしょう。

ただ、なんの覚悟もなかった“自由”の代償は大きかったというだけです。

モナに出会って、彼女について語ってくれた人たちには、そのことがある程度は見えていたのだと思います。

そりゃそうですよね。お金も持たず、当てもなく放浪していれば、どんな未来が待っているかは簡単に想像できます。

それでも、モナに優しくしてくれる人たちがいたのは、うまく言えませんが、なんとなく分かる気がします。

こう言ったら陳腐すぎですけど、やっぱり、どんな形でも、自由には憧れるのですよ。

モナと変わらないぐらいの年頃で、モナに水をくれた少女は、「私も彼女みたいに生きたい」とご両親に話していました。

ちなみに、モナについて語ってくれた人は、みんなモナの最期を知りません。ただ、自分が会って、話したときのモナだけしか知らないのです。

だから水をくれた少女がモナを思い出すとき、モナは汚いナリをしているけれど、かわいい旅行者のままなのです。なんか切ない。

旅を続けるうち、モナはどんどん薄汚れて強烈な匂いを放つホームレスとなっていきますが、そんなモナを車に乗せてくれた、スズカケの研究者である教授は、誰よりもモナに優しかったと思います。

モナの話を聞き、自分の話をし、食事を奢り、ホームレス然としたモナとカフェにも入ります。すごい勇気です。

だからでしょうか、モナもこの教授には真実に近い話をしていたと思います。

前述した、山羊飼いで元哲学の先生には嘘の経歴を話していましたからね。彼は教授以上にモナに良くしてくれていたので、ちょっと理不尽だなぁと感じますが、まあ、そこは感情的な問題なのでしょうね。

で、モナはスズカケの教授になついてしまいましたが、教授もまた、モナに同情なのか哀れみなのか、それともやはり、自由への抗いがたい憧れなのか、不思議な感情を抱いてしまったようです。

哲学の先生と同じく、教授も、モナの言っていることが甘ちゃんであることは重々承知していたのですけどね。

その後、教授はモナを強く引き止めることなく別れます。

しかし、さらに時間が経つと、教授はお金と食べ物しか渡さなかったことを後悔します。

いやいや、十分です。話を聞いた誰もが、「教授が気にすることはない」と言いますよ。

でも教授は、この先もずっと、モナのことを思い出すのでしょう。

「彼女は海から来たように思える」という言葉は、映画の冒頭に声だけが流れるのですが、これはきっと、この教授の声じゃないかなと思います。

教授はたいへんなお仕事をされていますし、忙しい日々を過ごしていくうちに、モナの顔や、モナと話した内容は忘れてしまうかもしれません。

でも、海から来た少女と出会った記憶だけは、不思議な感覚とともにいつまでも残る気がします。

自由について語られるとき、よくセットで責任についても語られます。自由には責任が伴うとか、自由と責任は同義であるとか、なんとも重たい話です。

重たいけれど正論でしょうし、それがよく分かっている人たちは、モナを一瞥しただけで、「あっちへ行け」と言ってしまいます。

うんうん。きっと、そういう人たちのほうが正しいのです。

ですが、無責任であっても、間違っていても、自由に生きると嘯(うそぶ)くモナには、不思議な魅力を感じる人たちもいるのです。

ただすれ違うだけなら、私も彼女に缶コーヒーとパンくらいは奢ったかもしれません。

「あっちへ行け」と言う側になったほうがいいのだとは思います。思うのですが、この映画を見終わって、ふと、冬の海でも見に行きたいものだなぁと考えてしまったのでした。

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映画情報

製作年/1985年
製作国/フランス
監 督/アニエス・ヴァルダ
出 演/サンドリーヌ・ボネール

日本での公開は1991年です。

原題を直訳すると『屋根もなく、法もなく』です。

意味としては原題のほうが「なるほど」って感じですが、私は邦題の『冬の旅』が好きだなあ。

ただウィキペディアによりますと、ビデオ発売時に『さすらう女』と変えられたそうです。

改悪では……? と思ってしまいました。

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