映画『ディナー・イン・アメリカ』ネタバレ感想 青春とは生臭く、パンクでピュアだったのだなぁと思い出す映画

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インディーズ映画の醍醐味的映画です。

スーパーヒーローも超絶美人のヒロインも出てきませんが、いつの間にか主役の2人にのめり込んじゃってます。

というわけで、映画『ディナー・イン・アメリカ』の感想を語ってみたいと思います。

「90年代の雰囲気が懐かしいのよね~」という方も、「パンクなんて興味ないんだけどな~」という方も、よろしかったらお付き合いください。

ただしネタバレ・あらすじを含みます

お嫌な方はここまででお願い致しますm(_._)m

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『ディナー・イン・アメリカ』ネタバレ感想

アメリカの田舎町に住むパティは、短大を中退後、ペットショップで働いている。楽しみといえばパンクバンド“サイオプス”の音楽を聴くことだけ。サイオプスのリーダー兼ボーカルのジョンQはパティの心の恋人だった。ある日、パティは警察に追われていた男を匿うことになったのだが、その男、サイモンこそがパティの心の恋人ジョンQであった。

青春とは生臭く、パンクでピュアだったのだなぁと思い出す映画

この映画の主役の1人であるパティは20歳です。

あ~若い。あ~青春だ。

20歳といえば、とっくに成人だし、「もう青春という歳でもないのでは?」と言われそうですが、なんのなんの、パティを見ていると、まだまだ青春真っ盛りだと思われます。

青春時代のことなんて、初老の頭ではほぼ記憶になく、覚えていることは都合のいい奇麗事だけだったりします。

ですが、パティが画面にあらわれると、「……青春って生臭かったよな~……」と、思い出せた気がしました。

私がそう感じるのは、パティも私も田舎住みだからかもしれません。

パティは20歳で、私が思い出した時代は高校時代、パティはアメリカ人で私は日本人という誤差がありますが、先進国の田舎町という共通項では、その誤差が小さいように感じます。

パティが仕事に行くために使っているバス停付近は、見渡す限り何もありません。バスに乗っている人もまばらです。

ということは、近くに目ぼしい産業もなく、人々は車で遠方へ通勤するか、出ていってしまうのでしょう。

パティが車ではないのは、勝手な憶測ですけど、変な方向に過保護な両親が運転を禁止しているのではないかと思います。

20歳の娘に、1人の時は火を使わないようにと命じる両親ですから、十分あり得ることです。

火も、車も、両親の目の届かない所で就職することも、すべては危険で禁止すべきことなのです。

パティがバスに乗っていく先はペットショップで、パティはそこで、糞尿にまみれた猫ちゃんたちを洗ってやったりします。なんというか、つらい仕事ばかりやらされています。

家に帰れば帰ったで、「なんの根拠で!?」と言いたくなる束縛をしてくる両親と、生意気な弟が待っています。悪い人たちじゃないのですけどね。

パティには親しい友人もいません。それはいいのですが、うざ絡みしてくる変な奴らがいて、そっちはしんどいな~と感じます。

奴らは元同級生なのでしょう、町中で会うたび、パティに絡んできます。絡みというか、陰湿なイジメですね。

パティはよく我慢していますよ。ほんと。

そんなパティには将来の展望もありません。展望の抱きようがありません。つまり夢も希望もなく、ただただ、現状を我慢するしかない。

そして田舎にいる限り、この現状がずっと続くのです。パティの年で、すでに人生の終わりまで見通せている。

田舎あるあるだな~と見ていると、「つまらんな~」とか「なんかないかな~」と呟いていた、高校生の頃の自分が重なりました。

そう呟いた日の私にとって現実は、残酷で厳しく、越えることのできない壁で、たぶん戦う気力もなく諦めていたのだと思います。

で、パティを取り巻くどうしようもない現実に、かつて、私も感じていた現実への感覚を、「生臭さ」として感じ取ってしまったのですね。※個人の感想です。

ただ、幸いなことに、パティには一つの救いがありました。

それが、大好きなパンクバンド“サイオプス”です。

彼らの音楽を聴き、バンドのボーカルであるジョンQに手紙を書くことが、パティの最大の喜びでした。

もともとパティは音楽が好きだったみたいです。

のちにジョンQであるサイモンを匿うことになるパティですが、サイモンとは同じ短大に通っていて、「音楽鑑賞講座」なるもので一緒だったそうです。

2人とも音楽が好きだったわけで、惹きつけ合う要素は最初からあったのですね。

しかし、過去には、すれ違う程度で終わってしまい、そんな2人をがっつり結びつけたのがパンクです。

パティがパンクに傾倒していく理由は、彼女の生活を見ているだけで分かる気がしますが、サイモンもまた、そうなる理由を山ほど抱えていました。

サイモンの家にはお手伝いさんがいて、サイモンの部屋にはドラムやギターや音響設備も揃っていて、家族も皆様、お上品な感じです。

お上品なお家の方々は、サイモンを異端児として見ていました。

サイモンがパンクに走ったのも、また必然だったのですね。

そして、サイモンはパティに出会いました。

今、書いていて気付きましたけど、これってボーイ・ミーツ・ガールの物語ですね。やっぱ青春だわ。

サイモンは“ボーイ“なんて可愛いもんじゃないですけどね。

正直、パティをいじめていたイモジャーの2人組より、サイモンはひどい奴かもしれません。

そうそう、パティをいじめていた2人組は、サイモンとパティによってコテンパンにされるのですよ。

それ以前に、2人組からボコボコにされたサイモンですが、サイモンの仕返しはかなりエグかったです。

この辺りからパティも弾け始めます。それと同時に、なんだか彼女がすごく可愛く見えてくるのです。

もうね、笑顔が可愛い。言動が可愛い。

それにつれて、サイモンまで可愛く見えてくるから不思議です。

2人がゲームセンターで遊んでいるシーンは、少しばかり切なく、甘酸っぱい気持ちになれます。

パンクでありつつ可愛いなんて、やっぱり、これは青春映画なんだな~と、改めて思うのでした。

心のどこかにパティ

ハワインアン・バーガー

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さて、青春映画のヒロイン役というパティですが、正直、映画が始まってすぐのパティは、可愛いとは思えませんでした。

しかも、中身も、ちょっと微妙でした。

パティに嫌がらせをしてくる同級生やペットショップのオーナー、パティの両親に弟、恋に落ちる前のサイモン、すべての人がパティのことを「ちょっと足りない人」扱いしていました。

少々足りなくても、うまく世渡りしていける人もいますけど、パティはそういうタイプではありません。

だから20歳になっても、仕事先ではいいように使われて、簡単にクビにされましたし、サイモンにもつけ込まれて、家で匿うハメになってしまったのです。

サイモンは人を操るのがうまいというか、ちょっとサイコパスチックなところがあります。

パティの弟や両親を、まんまと丸め込んでしまって、もしやパティの家族って崩壊させられてない…? なんて思うシーンもあります。

でも、そんなサイモンを、パティは恋する少年にしてしまうのです。

パティは、彼が愛するジョンQであるとは知らないので、自分がジョンQに愛の詩を送り続けていることを話します。

その流れで、ジョンQに送り続けている手紙の封筒を見せるのですが、それがまた個性的で、真っ黒な封筒にシールをごてごて貼り付けてあります。

サイモンはその封筒に見覚えがありました。というより、その封筒で送られてくるファンからの詩を、パワー・ポップであり天才的だと感じていました。

つまり、パティの詩に込められたものに、サイモンはシンパシーを感じていたわけです。

いいですね~、恋の始まりにはもってこいですね~。

でも、サイモンがパティを好きになったのは、詩のせいだけじゃないと思われます。

サイモンと行動をともにしているうちに、パティは精神的に解放されていくのですが、それって彼女が素直だからなのですよね。

そんな彼女の素直さにも、サイモンは惚れたのだと思います。

結局のところ、サイモンは警察につかまってしまいますし、パティも新しい仕事が見つかったのかどうか分かりません。

ですが、彼女は自分の感情を表に出せるようになりましたし、最後にバス停で踊っているパティは幸せそうに見えました。

サイモンが作ってくれた曲で、自分の詩を聴いているパティは、これまでにない幸福感で満たされているのだろうなと思います。

現状は何も変わってはいないのに、それでも幸せでいられるパティ。

これが若さなんだよな~。

私はもう二度と、パティのような、ただただ幸福感に浸る経験はできませんが、にっちもさっちもいかない日々の中で、バス停で踊るパティを思い浮かべて、ちょっとだけ暖かい気持ちになることぐらいはできるよな~、と思うのでした。

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映画情報

製作年/2020年
製作国/アメリカ
監 督/アダム・レーマイヤー
出 演/カイル・ガルナー/エミリー・スケッグス

日本での公開は2021年です。

この映画について、監督は、「90年代のパンクシーンに捧げるラブレター」と語っています。

というわけで、映画の背景は90年代なのだろうと思われます。

パティが持っているレコードやラジカセ、「テープにダビング」なんてセリフはとても懐かしいのですが、90年代半ばには、すでにCDへ移行している人も多かったはず。

同じ年代だから、同じ映像を見て、同じように懐かしいと感じる……ということは、これからはどんどん少なくなっていくのでしょう。

かつて(ン十年前)、私より少し年上の方が、CDは音質が良すぎて聴きづらいとおっしゃっていました。

そのときは、ふうん…としか思いませんでしたが、最近ネット上に「ローファイ」なるものが溢れているのをみると、知り合いと同じ感覚の人がけっこういるのだと思われます。

しかも「ローファイ」を楽しんでいるのが若い人たちなわけですから、もはや“年代”という括りは意味をなくしてきているのか……などとカオスに陥る初老なのでした。

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