油断して見ると、ガツンとくる映画です。
私の体験談なんですけどね。
なんの前知識もなく、ただ、ほのぼのした映画かな~と思って見たのが間違いでした。
というわけで、映画『家(うち)へ帰ろう』の感想を語りたいと思います。
「見た見た!」という方も、「見るのを躊躇っていた」という方も、よろしかったら、お付き合いください。
ただしネタバレ・あらすじを含みます。
お嫌な方は、ここまででお願いいたしますm(__)m
映画『家へ帰ろう』ネタバレ感想
記憶がおぼろになっている方&見ていない方のために、簡単なあらすじを。
時代に翻弄されて生きる
まず、この仕立屋のアブラハムじいさん、なかなかひねくれています。
老人ホームに入る前に、大勢の孫に囲まれた写真を撮ろうとしますが、ミカエラという孫娘が写真に入ろうとしません。
スマホがほしいミカエラは、アブラハムからお金を引き出そうと駆け引きに出ます。ミカエラもすごいですけど、駆け引きに応じるアブラハムもすごい。
普通、祖父なら、そんなことをするものじゃないと、たしなめない?
結局、アブラハムが負けるのですが、最終的にミカエラの小狡さを称賛します。
確かに、社会に出たとき、小狡いくらいのほうが、うまく生きていけるとは思います。
でも、やっぱり、祖父なら、たしなめたほうが……。まあ、各家庭いろいろありますけどね。
そして、このアブラハムじいさんには、勘当した娘がいます。理由は、自分に対する愛の言葉を述べなかったから。
これって、結構ひどい状況ですよ?
俺の財産をおまえ(娘)たちにやる。だから、みんな(娘たち)で、俺に対する愛を述べてみろっていう状況でした。
勘当された娘さんはクラウディアというのですが、クラウディアは、こんな状況で愛を語るのは恥ずかしいし、愛は行動で示すべきだって言ったんです。
正しい言い分ですよね。金をやるから俺を愛していると言えって強要されたんですよ? その状況で、恥ずかしげもなく、愛を語れるほうがどうかしてる。
でも、アブラハムじいさんは、クラウディアの言い分に激怒して、勘当したわけです。
なんじゃ、このじいさんは。
他にも、ホテルで宿泊代を値切ろうとするのですが、旅行コーディネーターのふりをして値切るんです。なかなか手が込んでいます。まあ、値切れませんでしたけど。
ここまででもお分かりかと思いますが、ほんと、ひねくれたじいさんです。孫や娘に対しては、モラハラ親父ですしね。
でも、このモラハラじいさんには壮絶な過去がありました。
アブラハムは普段、「ポーランド」という言葉を口にしません。
ポーランドへ行きたいと言うときも、言葉にせず、紙に書いたものを見せるほどの徹底ぶりです。
そんな彼がポーランドへ向かうのですから、時折、忌まわしい記憶に苛まれます。
この記憶がね、映画を見ている私まで、居ても立ってもいられなくなるものなのです。
戦争は恐ろしいです。ホロコーストは恐ろしいです。群集心理は恐ろしいです。
そんなものに、私は可能な限り、近づきたくない。
でも、戦争の起こった時代や、ホロコーストのあった時代に、居合わせてしまったら?
理不尽だと怒っても、私の人生はそれらに飲み込まれていくしかない。
アブラハムもそうでした。彼の人生はホロコーストに飲み込まれ、彼の人生を決定的に変えてしまいました。
彼は祖国を捨て、祖国の名前を口にすることもできなくなりました。
アブラハムには何人かの娘がいて、友人もいます。彼は自分の体験をどこまで話したのでしょう?
というか、家族や友人は、彼の身に起こったことを、正確に理解できているのでしょうか?
アブラハムが「ポーランド」と口にできないでいる意味を、誰が分かってあげていたのでしょう。
たぶん、誰もいなかった、と思うのです。
アブラハムの娘たちは、父がつらい思いをしたと知っていても、もう過去のことだと思っていた。アブラハムも多くを語らなかった。
あまりにつらい経験で話せなかったというのもあるでしょうが、たぶん、経験したことのない人間に、完全に理解してもらうことはできないということが分かっていて、話せなかったのではないでしょうか。
理解されない。こんなにつらいことってありますかね?
なぜアブラハムが、こんなにつらい思いをしなくてはならないのか。
ただ、生まれた時代が悪かった。そして、その代償は大きなものだった。そういうことなのです。
現実って、ときに、あまりに悲惨で過酷なものですよね……。
モラハラ親父の家はいずこ?
さて、アブラハムは目的地まで旅を続けます。
アルゼンチンを出て、スペインやフランス、地に足をつけるのも嫌なドイツを経由して、通りすがりの人たちの手助けを受け、ポーランドのウッチへたどり着きます。
そうまでしてたどり着いた先は、アブラハムがかつて両親や兄弟と暮らした家でした。
アブラハムは友人のピオトレックに会うためにポーランドへ来たわけですが、ピオトレックは、アブラハムの生家に住んでいたのです。
ここにも壮絶な歴史がありました。アブラハムの父親も仕立屋で、ピオトレックの両親は、アブラハムの父の元で働いていたのです。
ですが、ユダヤ人家族のアブラハムたちは収容所へ送られ、家はピオトレック家族に乗っ取られていました。
ドイツの敗戦が濃厚となり、瀕死の状態で家に逃げ帰ったアブラハムでしたが、ピオトレックの父親はアブラハムを家に入れようとしませんでした。
ピオトレックは怒り、自分の父親を殴り倒してまで、アブラハムを介抱してくれたのです。
アブラハムは体調が回復してから、叔母のいるアルゼンチンへ渡り、その後はピオトレックとまったくの没交渉でした。
手紙を書くと約束したのに、それすらしなかったアブラハムですが、気持ちは分かります。
そして今、88歳となって、アブラハムは約束を果たしに来ました。
ピオトレックがずっと同じ場所にいるかなんて分かりませんでしたが、アブラハムは家に帰って来たのです。
アブラハムを見つけたピオトレックは、アブラハムに「家に帰ろう」と言います。
そして二人は、アブラハムの生家へと入って行くのです。
つまり生家こそが、アブラハムの帰るべき家だったんですね。
これは、もしかすると怒る人がいるかもしれません。結婚して子供もいる男なら、自分の「家」は妻や子供がいる場所でしょ!なんてね。
でも、時代に人生をズタズタにされたアブラハムにとっては、常識とか、現代的な考え方なんて、関係ないんです。
生家で送るべき時間があった。その時間はひどい暴力によって、人生からすっぽり抜け落ちてしまった。
その喪失感を埋めてこそ、アブラハムは余生に向き合えるのかもしれません。
なくしたものは取り戻せないし、時代に立ち向かうこともできないけれど、私達はできることをして生きていくしかないんですね。
アブラハムはブエノスアイレスの家を出るとき、家の鍵を植え込みに投げ捨てていました。
アブラハムの余生が穏やかなものであることを、切に祈ります。
映画情報
製作国/スペイン・アルゼンチン
監 督/パブロ・ソラルス
出 演/ミゲル・アンヘル・ソラ/アンヘラ・モリーナ
日本での公開年は2018年です。
アブラハムが泊まったホテルの女主人、マリアの歌う歌が素敵でした。
年を取っても、ちゃんと愛の歌が歌えるってすごい。
私もスペインに生まれていたら、あんなふうになれたのだろうか……。
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