映画『関心領域』ネタバレ感想 ホラーよりホラーだと聞いていたら、本当にホラーだった件

使いかけの口紅 シネマ手帖・洋画
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ある家族を通して、ナチスのアウシュビッツ強制収容所を描いた映画です。

「アウシュビッツ? ああ、そりゃ怖いよね」と思われますか?

はい、その通りです。

ですが、これまでの映画とは違った怖さなのですよ。

ある家族を通してアウシュビッツ強制収容所を描く反面、アウシュビッツ強制収容所を通してある家族を描くことで、恐ろしいものを浮かび上がらせてくれるのです。

というわけで映画『関心領域』の感想を語ってみたいと思います。

「この映画のポスター、すごく綺麗だけど?」という方も、「悲惨なシーンは見たくないんだけどな」という方も、よろしかったらお付き合いください。

先に言っておきますと、直接的に悲惨なシーンを見ることはありませんので、その点だけはご安心ください。

ただ本当に怖いです。

そして、いつも通りネタバレ・あらすじを含みます

お嫌な方はここまででお願い致しますm(_._)m

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『関心領域』ネタバレ感想

記憶がおぼろになっている方&見ていない方のために簡単なあらすじを。

時は1943年。幸せなそうな家族がいた。優しく強い父であるルドルフ・ヘスに、垢抜けないがしっかり者の母であるヘートヴィヒ。5人の子供達は皆明るく健康そうだ。彼らが暮らす家は街から遠く、自然にあふれ、手入れの行き届いた庭にはプールまである。気になることといえば、塀を一枚隔てた向こう側がアウシュビッツ強制収容所ということだけだった。

ホラーよりホラーだと聞いていたら、本当にホラーだった件

今、この文章を読んでくださっている方は、どこかで、この映画のポスターなりレビューなりを見ておられるのだと思います。

そこで、「この映画、怖そうだけど、本当に怖いの~?」という疑問が浮かび、ここにたどり着いたと。

言っておきますが、本当に怖いです。何べん言うねんって感じですけど。

あのアウシュビッツ強制収容所の隣で、平気な顔をして暮らしていられる人達がいたってだけで、うすら寒さを感じますが、そんなもんじゃないですよ~。

無関心の怖さを描いているのは確かですが、最後にはもっとガツンときます。

映画の始まりは、とにかく美しいです。

最初こそ意図的なシーンが挿入されていますが、その後は最初のシーンを忘れてしまうほど、あっけらかんとした美しさです。

田舎の青い空に、水遊びをするのにもってこいの川に、緑の木々。

川では、今まさに一家が水遊びをしています。子供たちがはしゃいで、実に幸せそうな光景です。

やがて一家は、美しい家に帰っていきます。

家は清潔に整っていて、物資も豊富にあります。

なにより素晴らしいのは庭です。ガーデニングに興味のある人なら、「ここに住みたい!」と思われるかもしれません。

私は庭いじりに興味ないですけど、それでも住みたいと思いました。この家が普通の郊外にある家ならですが。

あらすじでも書きましたが、この家の塀の向こう側は、あの悪名高いアウシュビッツ強制収容所なのです。

で、美しい庭の向こうから、悲鳴や銃声や、それはそれはおぞましい音が、時にかすかに、時にはっきり聞こえてきます。

ナチスの強制収容所というものは、映画でも小説でも多数描かれてきましたよね。

時にドキュメンタリーで特集されたりもして、現代の私達は、その悲鳴や銃声の意味を知っています。

美しい庭の、塀一枚隔てた向こう側は、地獄よりも地獄なのです。

地獄の様子を直接に見せてくることはありません。

ただ、この家の家長であるルドルフのブーツに付いている血ですとか、ヘートヴィヒに渡される何枚もの肌着や服の意味を考えると、容易に地獄を想像できます。

書くのが遅くなりましたが、ルドルフ・ヘスはアウシュビッツの所長です。なので、ヘートヴィヒと子供たちは、今風に言うなら、父親の転勤に伴い転居してきたわけですね。

引っ越してきたのは、会話から推測するに3年ほど前で、家の内装をヘートヴィヒが自分でしたり、庭づくりもヘートヴィヒが中心となって懸命にやったようです。

それは自分の理想とする家を作るためとはいえ、子供が4人も5人もいて、大変だったと思います。そこには主婦として奮闘する女性の日常があるわけです。

しかし、その日常の中に、時折おぞましい会話が混じります。

明るい台所のテーブルの、女同士の井戸端会議で、収容所に収監された人達からはぎ取った衣服にまつわる話や、ハミガキ粉の中から出てきたダイヤの指輪の話が出たりします。

ルドルフは、収監した人々をいかに効率よく処理するか話し合う一方で、兵舎の横にあるライラックの茂みを傷つけないよう、兵士に伝令したりします。この恐ろしい矛盾よ。

ですが、そんな恐ろしさをちょくちょく挟みながらも、ヘス家の人々は明るく日々を過ごしていました。

その明るい日々に影を落としたのは、ルドルフへの転属命令でした。

数年かけて、家や庭を自分の理想以上に作り上げてきたヘートヴィヒにとっては青天の霹靂です。

意地でも家を離れたくないヘートヴィヒは、ルドルフに単身赴任を要請します。

で、結局、ヘートヴィヒと子供達はアウシュビッツに残り、ルドルフは単身ドイツのオラニエンブルクへと赴任するのです。

うん、丹精込めた家を離れることが辛いのは分かります。

でもなあ、夫がいなくなることに涙するほどの人が、たった1人で、使用人がいるとはいえ、赤ん坊含む5人の子供の面倒を見るのは、精神的にも辛いと思うよ。

数カ月後、深夜にルドルフと電話をしているヘートヴィヒ、電話を切った後のヘートヴィヒを見ていると、かなり疲れているように見えました。

アウシュビッツで行われていることが、彼女の人生に影を落とし始めているようでもあります。

ただ、彼女をより疲弊させているのが、家庭問題と歴史的な犯罪行為のどちらなのかといえば、たぶん前者だよな~、なんて考えていましたら。

その後、場面は突如として現代に移ります。

なんの説明もセリフもなく、出てきた人達の服装から現代なのだなと思うだけです。

場所はアウシュビッツ強制収容所らしく、お揃いの作業着を着た人達が掃除を始めます。

ああ、今やアウシュビッツは観光地になっているのだなと思い至ります。

じゃあ掃除くらいするよな~と思いつつ、彼女たちが黙々と掃除を進めていくのを眺めます。

こんな歴史的遺産を毎日見ていてどんな気持ちだろう、どんな気持ちだろうと仕事だからな~とか、ぼんやり考えておりました。

そして、収容されていた人達の、おびただしい数の靴がガラスの向こう側に展示されている場所で、ガラスを拭いている清掃員を眺めていると、ふいに、清掃員の、ガラスの向こう側への無関心さがヘートヴィヒと重なり、次の瞬間には、私自身がヘートヴィヒと重なって見えました。

ああ、ヘートヴィヒは私だ。急にそう感じられたのです。

そして、シーンは再びルドルフに戻ります。

ルドルフは自分のオフィスを出て、折り返し階段を降りているところです。彼のオフィスは高い階にあるみたいですね。

“現代”から帰って来た私は、ルドルフと一緒に、くるりくるりと折り返しのある階段を降りていき、体調の悪いルドルフは胃液が込み上げてくるのか、足を止めて、えずいてしまいます。

時刻は深夜。ルドルフ以外、誰もいません。

嘔吐感がおさまったルドルフは、廊下の奥にある闇に目を向けます。

そのとき、ヘートヴィヒは自分だと自覚したばかりの私も、ルドルフと一緒に、底知れない闇に吸い込まれていく気がしたのです。

こわー! 怖すぎる! なんのホラーだよ!?

正直、ここで感じた恐怖を言葉にするのは難しいです。というか言葉にしたくない。

ルドルフが、ヘートヴィヒが見た闇とは? なんて考えたくもない。

この映画を見た私が考えるべきなのは、他人に無関心であることをやめ、恐ろしい闇を発現させる前に思考をフル回転させなければならない、ということです。

ということで、いいですよね?

考えることは大事ですが、深淵に引き込まれないようにすることも大事です。皆様、お気をつけて。

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答えはない、想像だけがある

この映画の怖さは、起こった出来事を直接的に見せるのではなく、想像させるところにあります。

アウシュビッツで行われていることを見せない、とは先に書きました。

その代わり何を見せるのか。

例えば、映画が始まってほどなくした頃、家に物資が届けられます。中身は食料や衣類です。

まとめて袋に入れられた、むき出しの衣類をダイニングテーブルに広げ、使用人の女性たちに1枚ずつ持っていってと、女主人として鷹揚なところを見せるヘートヴィヒ。

ヘートヴィヒ自身は、2階の寝室で豪勢な毛皮のコートを試着です。

見ている私達は「これはどういうこと?」と考え始めます。どうみても店から買ってきた品には見えません。

こういうシーンを見せられて、私達は自然に想像力を働かせ始め、怖くなったり気持ち悪くなったりするというわけです。

ところで、私、一つ不思議に思うことがあるのです。

ヘートヴィヒだけでなく、彼女の友人たちも、ユダヤ人から剥ぎ取った服や装飾品を平気で身に着けられるのはなぜなのでしょう。

彼女たちはユダヤ人を同じ人間とも思っていないのに、そんな人達の持ち物を身に着けることに、嫌悪とか感じないものなのでしょうか。

極めつけは、ヘートヴィヒが毛皮のコートを試着中、ポケットに入ったままの口紅を見つけ、口紅まで試し塗りをしてしまうところです。

正直、この映画で一番怖気をふるったのが、この口紅を塗るシーンでした。

百歩譲って服はまだ分かります。でも使いかけの口紅ですよ? 大好きな人のものでも躊躇して不思議じゃないのに、自分達が迫害している人間の使いかけです。

ヘートヴィヒは華美に飾りたててもいないし、農業をして暮らすのが夢の素朴な人間であるだけに、彼女の野卑な部分がおぞましすぎて辛い。

戦時中でなければ、彼女の野卑さはそこまで発露されなかっただろうに、残念です。

それに比べると、ヘートヴィヒの母親はまだまともでした。

遊びに来たヘートヴィヒの母は、娘の裕福な暮らしを見て感嘆し、娘の幸運を喜びます。

母親はユダヤ人家庭の掃除婦をしていたらしく、ヘートヴィヒの実家は裕福でなかったことが分かります。

だから母としては、娘が何不自由なく暮らしているのを見れば、それは嬉しいですよね。

ですが、隣が強制収容所であることは知っていますし、あろうことか、隣の収容所に、かつての雇い主が収容されていることも知っているのです。

それなのに手放しで喜ぶ様は、親心とは分かっているし、収容所の中で行われていることを正確に把握していないだろうことも分かっているのですが、やっぱりおぞましい……。

ただ、母親は庭でうたた寝してしまい、夕方に目を覚ますと、収容所から無数に立ち上る煙を目にして不穏な空気を感じます。

夜には、夜空を染める炎や火の粉を見、こだましてくる叫び声を聞き、何かの臭いを嗅いでしまいます。

翌朝、母親は娘にも黙って姿を消しました。

置き手紙はあったのですが、まるで見つけられるのを恐れるかのように、花瓶の影に置かれていました。

たぶん、ルドルフの目に触れるのを避けたかったのでしょう。

その手紙の内容は明かされませんし、ヘートヴィヒは読んですぐ、手紙を竈にくべてしまいました。

ここでも手紙の内容をさんざん想像しましたよ。

娘にただただ謝罪するだけの手紙だったとは思えません。それにしてはヘートヴィヒの顔が怖すぎました。

でも、とにかく、母親は隣から漏れ出てくるものに恐怖か嫌悪を感じたのは確かですし、そこが娘ヘートヴィヒとの大きな違いです。

この違いが、ここから先、母娘の関係をどう変えていくのか想像しました。

想像するしかないのです。だって母親の登場はこの先ありません。

ヘートヴィヒから母のその後を語られることもなく、淡々と日々の生活が細切れに映し出されていくだけです。

母親も夫もいなくなった後、ヘートヴィヒに映画冒頭のような明るさは見られません。

美しかった庭も冬が来て、すべては枯れ果てたようです。

田舎者の私は、枯れたように見える草木が、春になれば息を吹き返してくれるのを知っています。

でも、ヘートヴィヒの庭は、はたして復活するのでしょうか。

その疑問にも答えることなく、映画は終わります。

ヘートヴィヒの、母の、5人の子供たちの、ルドルフの、使用人たちの、誰かのその後を描くこともなく終わるのです。

この恐怖の余韻をどうしてくれる…と途方にくれて、私も画面の電源を落とすのでした。

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映画情報

製作年/2023年
製作国/アメリカ・イギリス・ポーランド
監 督/ジョナサン・グレイザー
出 演/クリスティアン・フリーデル/ザンドラ・ヒュラー

日本での公開は2024年です。

原作はマーティン・エイミス氏の同名小説です。

原作と映画はかなり違うらしいのですが、じゃあ原作も読んでみようと気楽には思えないほど、映画が怖かったです。

年とともに、悲惨さやおぞましさへの耐性がすり減ってきているような気がします。

もう綺麗なものだけ見て暮らしたいなり。じっと手を見る……。

↓ヘートヴィヒ役のザンドラ・ヒュラーが出演している映画

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