スーパーマーケットが小さな惑星のように感じられる映画です。
映画の主人公は、その小さな惑星の中で、ひっそり生きている人達です。
人生がうまくいっている人なら、この映画はつまらなく感じるかもしれません。
生きているだけで精一杯という人生を送っている、または送っていたという人なら、この映画は癒やしになるかもしれません。
というわけで、映画『希望の灯り』の感想を語ってみたいと思います。
「惑星みたいなスーパーって、どんだけ~?」という方も、「ドイツ映画ってどんな感じ~?」という方も、よろしかったらお付き合いください。
ただしネタバレ・あらすじを含みます。
お嫌な方はここまででお願い致しますm(_._)m
『希望の灯り』ネタバレ感想
記憶がおぼろになっている方&見ていない方のために簡単なあらすじを。
大きなスーパーマーケットの中の小さな人生
不思議な世界観の映画なのですよ。
大きなスーパーマーケットが舞台となっていて、そこで働く人達が主人公とくれば、生活感あふれる映画を想像してしまいます。
しかし、この映画を見終わった後の余韻は、「低予算のため全編砂漠で撮影したよ」というSF映画を見たあとの感覚に似ています。
いや、どんな感覚?って感じですよね。すみません。
とにかく不思議な余韻のある映画だと言いたいだけなのです。
この映画に生活感がないわけではないのですが、感情をむき出しにすることが少なく、かなり抑制が効いていて、最後にほのかな希望が残ります。
舞台となるスーパーマーケットは旧東ドイツにあります。
ところで、ベルリンの壁崩壊から今年で36年です。当時の私はドイツのことなど何も知らず、思ったのは「東ドイツの人達が解放されてよかったな」ということだけでした。
でもですよ、現実がそんな単純なわけないじゃないですか。ねえ?
東西ドイツが再統一されて、東ドイツは大きく変化したわけですが、当然、その中でも勝ち組と負け組が存在したわけです。
主人公・クリスティアンたちが働くスーパーは勝ち組です。このスーパー、東ドイツ時代にはトラックの運送会社でした。
再統一後に、今の会社が買い取って、スーパーマーケットとなったのです。
その今の会社を、クリスティアンの上司であるブルーノは、勝ち組だと言いました。
その言葉はブルーノが自身を負け組だと感じていての言葉だと思います。
そして、クリスティアンもまた負け組です。
ブルーノにもそれが分かっていたからこそ、クリスティアンに目をかけてやったのでしょう。ぶっきらぼうですが、ブルーノの優しさを感じます。
優しいのはブルーノだけではありません。
スーパーの雇われ責任者のルディ、別部門で働くウォルフガングやクラウスも、口が悪かったり愛想がなかったりしますが、クリスティアンを色眼鏡で見ることなく、最初から受け入れてくれていました。
彼らはスーパーが運送会社だった頃から一緒に働いていて、遅番で閉店時間まで残っているのも、大抵はこの古いメンバーたちです。
ブルーノもルディもクラウスも良い人たちだと思います。
でも彼らはスーパーのオーナーとは違い、国の再統一という絶好の波に乗れず、置いてけぼりを食らってしまった側にいます。
彼らは同じ悲しみを共有しているのですね。同じ悲しみの上に、それぞれの生活がある。
クリスティアンも同じ負け組ではありますが、東ドイツ時代を知っているブルーノ達と、年若いクリスティアンでは、ちょっとした違いがあると感じます。
クリスティアンもなかなかに過酷な人生を歩んでいます。彼は、日本で言えば少年院のようなところに入っていたようで、その理由は車上荒らしや空き巣です。
過去の話をクリスティアンがしているときに、親の存在はまったく感じられませんでした。
ということは、親の庇護もなく窃盗をすることで生計を立てていたのでしょう。
ですが、そんな生活が再統一のせいだという思いが、クリスティアンにはあったのかどうか。
あったとしても、遠因の一つくらいでしかなかったのではないでしょうか。
何が言いたいのかって、この認識の差が、クリスティアンに“希望の灯り”を感じさせ、ブルーノに“自ら命を絶つ”行為を選ばせたのかな、ということです。
失恋に落ち込むクリスティアンを慰めた後、ブルーノは自らこの世を去ります。
ある夜、ブルーノはクリスティアンを自宅に招きました。そのときにクリスティアンの過去を聞き、慰め、自分は東ドイツ時代が懐かしいと話しました。
東西が再統一されたとき、ブルーノは希望にあふれていたことでしょう。未来は光り輝いて感じられ、バラ色の夢を見ていたかもしれません。
しかし再統一から30年を過ぎてみると、彼は一人暮らしで、東ドイツだった頃を懐かしんでいる。
ブルーノはよく「女房」と口にしていたのに、彼は一人暮らしでした。
どこかの時点では本当に女房がいたのか、初めからいなかったのかは分かりません。
分かるのは、ブルーノが亡くなった時点では、「女房」は存在していなかったということだけです。
ブルーノの夢みたバラ色の未来には、確かに「女房」がいたのでしょう。夢見ただけに、絶望は深かったと思います。
夢を見ることもできないクリスティアンが幸せだとは言いませんが、持ち上げられて叩き落とされたブルーノの絶望を考えると、どうにもやりきれません。
クラウスが「俺も一人者だけど、首をツったりしないよ」と寂しそうに呟いていました。
そうなのですよね。そこはもう、人それぞれとしか。
クラウスはブルーノより若そうなので、そのぶん、ブルーノより鈍感でいられたのかもしれないし、ブルーノとより近いルディが「前を向いて生きるしかないさ」と言えるのは、彼のほうがブルーノより楽観的だからなのでしょうね。
ちょいイケオジのルディは、スーパーの閉店後に、店内放送で『G線上のアリア』を流しながら、「夜の時間へようこそ」なんて言っちゃう。けっこう楽しんでます。
そういえば、このルディやクラウスは、期限が切れて廃棄される食品を「食うなよ」と言いつつ、クリスティアンの前でむさぼり食ったりしていましたが、ブルーノはやってなかったような気がします。
こういうところも性格の違いが出ていたのでしょうね。
で、クリスティアンもブルーノと同じく一人者で、スーパーで働いている以外の時間は、生きている実感がないように見えました。でも逆に言うなら、スーパーにいる間は生の実感があるわけで、仕事が救いになっていたわけです。
ブルーノは悲しい最後を迎えましたが、ブルーノなき後もスーパーはいつも通り開店します。
惑星はいつもどおりそこにあり、そこに暮らす人々は、それぞれの人生を続けていくのでした。
“希望の灯り”ってなんだろう
『希望の灯り』は邦題です。
この映画には原作があり、原題は『通路にて』だそうです。
原題も好きです。東側で時代に取り残された人達の人生に重きを置くなら、原題のほうがしっくりきます。
でも、たぶん、この映画を作ろうとした人達は、登場人物達が、それでも小さな希望を得て生きていくことの方に軸足を起きたかったのだろうな~と感じます。
だとしたら、邦題の『希望の灯り』もいい題名だなと思います。
映像的にも、スーパーマーケットの灯りや、スーパーマーケットの側にある高速道の灯り、また明け方、高速道を連なって走るトラックのヘッドライトを印象的に見せて、視覚的にも“灯り”が胸に来るのですよ。
では、視覚的ではない“希望”ってなんでしょう?
クリスティアンにとっては、当然、愛しのマリオンが一番に挙げられます。
菓子セクション担当のマリオンに一目惚れしたクリスティアンは、ひたむきに彼女の姿を目で追います。
それがブルーノや、マリオンの上司に当たるイリーノには、あまりに丸分かりで、応援されたり釘を刺されたりします。
マリオンもクリスティアンに好意を持つのですが、彼女には夫がいるので、まあ、一筋縄ではいきませんよね。
マリオンに一歩近づけたかと思うと、彼女は逃げてしまい、店を休みます。
夫とうまくいっていないとはいえ、まだ婚姻関係が継続中なのに、普通に恋愛するわけにもいかず、マリオンにも葛藤があったのでしょう。
しかしマリオンは再びスーパーマーケットに戻ってきます。
マリオンが夫と別れるのか、クリスティアンの気持ちに応えるのか、先は分からないまま終わるのですが、最後に、2人は一緒に、波の音に耳を傾けるのです。
海だと思うでしょ?
残念。スーパーの通路にて、なのです。
このスーパーでは在庫を保管している場所はもちろん、店内でもフォークリフトが走り回っています。
そして、入店した頃とは比べ物にならないほどフォークリフトの運転が上手になったクリスティアンは、フォークリフトに飛び乗ってきたマリオンに小さな秘密を教えてもらいます。
その秘密は、フォークリフトのフォークを一番上まで上げ、ゆっくり降ろしていくと、波の音がするというものでした。
これ、マリオンはブルーノに教えてもらったのだそうです。
窓のない、人工の明かりしかない通路で、波の音に耳を傾けるクリスティアンとマリオンには、ブルーノの持つ絶望感は感じられません。
このときのマリオンもクリスティアンも、どちらも吹っ切れた表情をしていました。
仕事を休む直前、マリオンはかなり辛そうな表情をしていたのですけどね。
クリスティアンの方は、マリオンが戻ってきてくれたことに加えて、試用期間が終了し、本採用となったことで気持ちが前向きに変化したのでしょう。
クリスティアンにとっては、マリオンだけでなく、スーパーマーケットの存在が、希望の灯りとなったのだろうなと思います。
もしもです。もし、マリオンが戻ってこなかったとしても、クリスティアンは立ち直っていたのではないでしょうか。
スーパーマーケットでは、クリスティアンは必要とされていました。
クリスティアンを認めてくれる仲間達がそこにいました。
フォークリフトを運転するための試験に合格したときは、同じセクションの人達が本人以上に喜んでくれました。
このシーン、ちょっと泣きそうになりましたよ。
一番心配して、気にかけてくれたブルーノはいなくなってしまったけれど、ブルーノが話してくれたことや家に呼んでくれたことは、クリスティアンにとって忘れられない思い出となったはずです。
今までにない思い出や、自分の居場所をクリスティアンは得ました。
この先、マリオンとうまくいかなかったとしても、クリスティアンはきっと大丈夫。
彼はブルーノと同じ道は歩まない。そう思えるのでした。
映画情報
製作国/ドイツ
監 督/トーマス・ステューバー
出 演/フランツ・ロゴフスキ/ペーター・クルト
日本での公開は2019年です。
原作はクレメンス・マイヤー氏による『通路にて』です。
この映画を見ていると、映画『タクシードライバー』を思い出しました。
どちらも若者が現実に打ちのめされるストーリーではありますが、本作には希望があります。
希望がお望みなら本作で、ヒリヒリした現実感がお望みなら『タクシードライバー』をおすすめいたします。
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↓心がヒリヒリする、ロバート・デ・ニーロの代表作

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