映画『僕らの世界が交わるまで』ネタバレ感想 似た者親子の世界は本当に交わったのか?

平行線 シネマ手帖・洋画
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とっても似た者同士なのに、まったく分かり合えない母と息子。

よくある話ですし、世間では、分かり合えないまま家族を続けていくことも、またよくある話です。

しかし、この映画の題名は『僕らの世界が交わるまで』です。

自分のことしか頭にない男子高校生のジギーと、社会貢献欲が旺盛な母エヴリンがどう交わるのか?

エヴリンはなかなか癖のある人ですが、私はラストシーンの彼女の微笑みに希望を見ました。

というわけで、映画『僕らの世界が交わるまで』の感想を語ってみたいと思います。

「親子だからこそ相手が見えないのよ~、分かるわよ~」という方も、「お、この映画の監督って、『ゾンビランド』に出てた人?」という方も、よろしかったらお付き合いください。

ただし、ネタバレ・あらすじを含みます

お嫌な方はここまででお願い致しますm(_._)m

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『僕らの世界が交わるまで』ネタバレ感想

記憶がおぼろになっている方&見ていない方のために簡単なあらすじを。

母エヴリンはDV被害にあった女性のためのシェルターの運営をしている。息子である高校生のジギーはネットのライブ配信に夢中で、2万人のフォロワーが自慢だ。そんなジギーのことをエヴリンは理解できないし、ジギーもまた高校生らしく、親にも感情があることを理解できない。いまや2人はお互いの日々に無関心で過ごし、別々の場所で、それぞれの問題に直面する。

似た者親子の世界は本当に交わったのか?

はい。最終的には、確かに、2人はお互いに目を向けました。

エヴリンとジギーを称して、ジギーの父親(つまりエヴリンの夫)は「2人とも自己愛が強すぎる」と言ったのですが、本当に自己愛が強すぎるかどうかは別として、母のエヴリンと息子のジギーはそっくりです。

そっくりすぎて、2人して同時に同じような挫折?を味わいます。そして、これまた同時に、自分が目を向けるべき家族を思い出すのですね。

これって、ある意味、奇跡かもしれないです。

なにが奇跡かって、高校生の子供とその親が分かり合えなくても、特別に問題視することって普通はないですよね。

母は「今どきの子供なんてこんなものかしら?」と思ってやり過ごし、子供は子供で、「親なんて何も分かってない」とうっすら見下して、そのうち子供は巣立ち、時々会うだけの関係になっていく。

親子の縁なんて切ろうとしても切れないけれど、かといって、お互いに、近くにいる友人たちほども親しく感じられなくなって、でもそんなもんだと日々を過ごしていきます。

気にしないといえば気にしないし、寂しいといえば寂しい。

でも、エヴリンとジギーは、そんな疎遠な関係にならないですむキッカケを手に入れたのです。私には小さな奇跡に感じられます。

つまり、この映画は、心の通い合わなくなっていた親子の物語です。しかし親子の間に大きな問題があったわけじゃありません。経済的に困ってはいないし、親子の仲が特別に険悪ってわけでもない。

リベラルな白人家庭で、エヴリンと夫のロジャーは学歴もあって、職種はホワイトカラー。家はもちろん戸建て。たぶん持ち家。当然、ジギーには自室があります。

ジギーは音楽に夢中で、進学について、どう考えているのかは分かりません。でも、大学に行くとしたら、学費は親持ちで、もし遠方の大学だとしても、すべては親が出すとナチュラルに思っていそうです。

そんなジギーにエヴリンは呆れてますけど、もしジギーが大学へ行かないと言い出したら、エヴリンは呆れるどころじゃ済まないでしょうね。エヴリンにとって大学は、行って当然のところです。

エヴリン自身も大学に行っていますし、つまりは代々リベラルな白人家庭で、職種もホワイトカラーであることが当然の女性なのですよ。

そして、現在エヴリンは、DVによる被害女性と、その家族のためのシェルターを運営しています。

社会貢献をしたいと思っても実行できる人は少なく、実際に行動できるエヴリンは素直にすごいなと思います。

立派な女性ですよ、エヴリンは。

そんなエヴリンが思い通りにできなかったのが子育てです。

たぶん必死になって、ジギーに自分の、あるいは自分たち夫婦の思想を伝えようとした時期があったと思うのですが、今はもう諦めの境地です。

ジギーは悪い子ではないし、実は、まあまあ良い曲を作ります。そして自作の曲をネットでライブ配信しており、フォロワーは2万人で、それが自慢です。

私が母か祖母なら、「たいしたもんだ~」と感心しますけどね。

手放しで喜ぶことはないにしても、ちょっとくらい褒めてやってもいいと思いません?

でもエヴリンは、部屋に籠もり、ライブ配信で“投げ銭”とかいうあぶく銭を稼いでいる息子に絶望しております。

“投げ銭”って御存じですか? 配信を見たファンの人たちが、ネット上で送ってくれる、いわゆる“おひねり”です。

これもエヴリンは気に入らない。“投げ銭”をボランティア活動への寄付とか、勉強のために使うなら、まだ彼女も納得できます。

しかし、ジギーは、新たな楽器や機材に使うと言います。まあ、普通の高校生ならそんなもんかな~と私は思いますが、エヴリンには受け入れがたい考え方のようです。

エヴリンが高校生だった頃は、もっと社会の問題に目を向ける子だったのでしょうね。だからジギーが軽薄で浅慮に見える。

しかも、ちょうどエヴリンの運営するシェルターに、母と一緒に避難してきたカイルという高校生が、エヴリンの心の琴線に触れる良い子なのですよ。暴力を振るう父から母を守って警察へ通報し、シェルターに入ってなお、共用のスペースで勉強している。

泣く母に冗談を言って笑わせ、エヴリンから雑用を頼まれると、勉強中でも腰軽く立ち上がって手伝ってくれる。

「なんていい子!」と、なるのも分かります。

だから、家に帰って、自室の入り口に赤いランプを取り付けているジギーに向かって、シェルターへ来て、細々した雑用を手伝ってほしいと言ってしまったのも分かります。ついつい、希望を持ってしまったのですね。

でも、ジギーの返答は「それってボランティア?」「それは行政の管轄では?」でした。

いやいや、ちょっとくらい手伝ってあげてもいいじゃんとは思いましたけど、エヴリンも言葉足らずなのですよ。

手が足りなくて困っていることを説明するとか、息子と一緒にやりたいのだということを話すとか。ただ、そんなことは、これまで何回もしてきて、もう諦めているというのも想像がつくのですが。

それでも、手伝ってほしいと口にしたなら、さらに言葉を尽くす覚悟があってよかったかもしれません。

高校生なんて、ただでさえ、やりたいことしか目に入らない時期だし。

カイルだって、ジギーと同じ境遇なら、今頃は父親にスポーツカーをねだって、スポーツカーは無理でも、ひたすら車を乗り回しているだけのボンクラ息子になっていた…かもしれませんしね。

それはともかく。まあ、エヴリンは息子にがっかりしているのです。

エヴリンはよく朝に、キッチンのシンク前で、1人コーヒーを飲んでいました。

このシーンが何度もあった気がしますけど、たぶん私にとって印象的だったからそう感じるだけで、実は2回くらいかな?

何も語らないエヴリンですが、このときのエヴリンの感覚が、まるで自分のことのように感じられます。

朝は、むき出しの自分というか、むき出しの感情を持て余すことがあります。

何も不満を抱えていない人なら、ぼんやりとコーヒーを楽しむことができるのに、不満を抱えている人間にとっては、私の人生はどこでこうなったと、やるせない思いを感じる時間なのです。

ジギーも不満を抱えているのは分かるのですが、なんといっても、まだ高校生。人生の重みがエヴリンとは段違いに違います。

高校生には分かるまい。人生のどこかで間違ってしまったという、背筋がすうっと涼しくなるのに、足元から血が沸騰してくるような感覚。40代や50代になると挫折の重みが違うんだよ、このク○ソガキがってなもんです。

そしてエヴリンは暴走します。

カイルの力になりたいと大学進学をすすめるのですが、カイルに進学するつもりはありません。暴力を振るう父とはいえ、父の自動車修理工場で働くつもりだし、それはカイルの心からの望みです。

でもエヴリンは、なんというか、聞く耳を持たないんですよね。

カイルがやんわり断っても、それが本心だとは思わないし、カイルが進学したがらないのは無知ゆえと思っている。

たとえば、お金の問題は奨学金で解決できる。でも、境遇のせいでそういう情報にも疎く、こんな良い子なのに大学へ行けない。ここは私が力になってあげる、という感じです。

で、エヴリンはさっそく行けそうな大学に問い合わせたり、奨学金を調べたりします。この実行力、見習いたいです。

ですが、カイルは本当に、心の底から大学へは行きたくはないんだということを、最後には伝えます。

なぜカイルが、はっきり意思表示しなかったのかというと、シェルターを追い出されるのではないかと思っていたからです。

はっきり断ることで、エヴリンの機嫌を悪くさせてしまい、シェルターを追い出される、そんな筋書きをカイルは恐れたのです。

リベラル派のエヴリンとしては、晴天の霹靂というくらいショックでした。カイルに疑念を口にされ、彼女は「それとこれとは別の話よ、追い出すわけがない」と言うのがやっとでした。

まさかね、自分がそんな権力を振り回す側だと思われるなんて、考えたこともなかったでしょう。エヴリンはずっと、そんな権力に対する側の立場だと思っていたわけですし。

カイルの言葉に叩きのめされたエヴリンは、自分には世界を救うことなんて無理だって、思い知ったのではないかな。

ところで、この映画、原題は『When You Finish Saving the World』で、直訳すると『あなたが世界を救い終えたら』です。

どうです、皮肉が効いてますね~。

世界を救えない自分に気づかされて、エヴリンのHPは完全にゼロです。しおしおです。

で、普段装備している理想や思想など消し飛んだ目で、ジギーの発信している動画を見ると、息子がいつもと違って見えたのです。

そして、時を同じくして、傷ついたジギーがエヴリンのシェルターにやってきます。

「ようやく」なのか、「再び」なのか、てんでバラバラの方向を向いていたジギーとエヴリンは、素直な気持ちで、お互いに向き合ったのでした。

アイゼンバーグ監督のアンサー映画?と妄想してみる

食卓

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ところで、『僕らの世界が交わるまで』の監督はジェシー・アイゼンバーグという方で、元々は俳優です。

そして、私は、この方の出ていた映画『ゾンビランド』が好きです。

『ゾンビランド』ではコロンバスと呼ばれる大学生役だったのですが、『僕らの世界が交わるまで』を見終わった後に監督が誰かを知り、その瞬間、脳内でパーン!という衝撃音が聞こえる勢いで、ジキー役がアイゼンバーグ氏にすり替わりました。

『僕らの世界が交わるまで』は、脚本もアイゼンバーグ氏が書いています。そのせいか、彼はジギーのイメージにぴったりです。

で、ふと思ったのです。『僕らの世界が交わるまで』の家族の結末って、『ゾンビランド』でアイゼンバーグ氏が演じた、コロンバス青年が夢見た結末だったのではないかと。

はい、もちろん、私の妄想ですよ。まったくの妄想です。ですが、私にとっての映画の醍醐味とは、映画を見終わった後の妄想も含まれているので、あしからずご了承ください。

『ゾンビランド』という映画は、題名が示すとおりゾンビ映画で、臆病ゆえに生き残った大学生のコロンバス青年は、家族に会うため、故郷であるコロンバスへ帰ろうとします。

コロンバス青年は大学のそばで一人暮らしをしていたので、家族とは離ればなれだったのですね。

コロンバス青年も、家族とは仲が良くなくて、疎遠だと話していました。しかし世界がゾンビだらけになると、知った相手の側にいるのはいいものだと、家族の元へ帰ることにしたのです。

まあ、お察しとは思いますが、道中で家族の住む地域も全滅していると聞かされ、コロンバス青年は、疎遠だった家族と仲直りする機会を永遠に失ったのでした。

コロンバス青年もまた、親との間に特別な問題があったわけではありません。

白人のそこそこ裕福な、しかし家族間の意思疎通ができていない家庭だっただけです。だから亡くなったと聞けば、ちゃんと悲しい。

『ゾンビランド』のラストはハッピーエンドですし、コロンバスは新しい家族を手に入れます。

それでも、亡くなった家族のことを思い出すとき、両親ともっと話すべきだったと後悔し、世界がゾンビだらけにならなければ、就職や結婚や出産のタイミングで、疎遠だった家族と新しい関係が築けたかもしれない、と思ったかもしれません。

なので、ジギーは別の世界線のコロンバスかもなあ、と。

ジギーは高校生らしく、古くさい両親を下に見ています。カイルに比べると贅沢な人生を送っていますが、もちろん比べることがおかしいですし、ジギーとしては当たり前の生活をしているにすぎせまん。

自室があり、配信中にエヴリンがドアをノックしたことに腹を立て、配信を知らせる赤いランプを自室のドア横に取り付けます。

「このランプが点いている間は静かにして!ドアもノックしないで!」とエヴリンに言います。

ママもパパもなにも分かっていない、と思っているジギー。でも、分かってくれないのは両親だけではありません。

目下、ジギーは恋をしております。片思いの相手はライラといい、社会派の女の子で、同級生と政治問題について議論しちゃったりします。

ジギーは政治なんてこれっぽっちも関心がないわけで、だから別方向からアプローチすればいいだけなのに、ライラの前で政治問題について語ろうとします。

もちろん知識がないのでうまくいかず、エヴリンに助言を求めます。

エヴリンも、ここで1歩も2歩も引いて話し相手になってやればよかったのに、「知識もなく政治を語ろうなんて100年早い!(意訳)」と正論を言ってしまいます。

そしてジギーはジギーで、母の言い分は正論だと感じつつも、腹を立ててしまい、なので母の助言は無視です。

結局のところジギーは、自分はすごいんだ、なぜ分かってくれないんだって思いが強いのでしょうね。

だからライラにも、やたら、2万人のフォロワーがいると強調します。やだ、恥ずかしい。

ついには「僕はすごく政治的な人間なんだ」なんて言ってしまったり。あああああ、なに言ってんだ、小僧……

最終的にはライラに「ク○ガキ!(意訳)」と罵られて、ジギーはベッコベコにへこまされ、なにを思ったのか、エヴリンのシェルターへふらりとやってきます。

このときのジギーなら、エヴリンの助言も耳に届く気がします。

同じく、このときのエヴリンなら、素直にジギーと向き合うことができるのです。

これぞコロンバス青年が望んだ結果ではないでしょうか。疎遠だった家族が、ゾンビという万難を排して再び集い、家族の絆を復活させていく。素晴らしい。

ただですね、たとえコロンバス青年が家族と再会できた世界線があったとしても、家族の絆が復活したかどうかは分かりません。

ジギーとエヴリンの世界は確かに交わりました。お互いが、これまでとは違う素直な気持ちで向き合うことができたと思います。

エヴリンの微笑みはとても優しく、これからの親子関係は違ったものになるという希望が見えました。

しかし先のことは分かりません。深刻な喧嘩や断絶が、またいつやってくるとも限りません。というか、くるでしょう。ジギーはまだ高校生で、進学や就職でぶつかり合うことは目に見えています。

でも、世界を救うことを考えれば、なにがあっても楽勝……じゃないかなぁと。

ゾンビを相手にするわけでもありませんし、親子がじっくり向き合って話し合えば、少なくとも一つの家庭を救うことは楽勝だよな~と思うのでした。

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映画情報

製作年/2022年
製作国/アメリカ
監 督/ジェシー・アイゼンバーグ
出 演/ジュリアン・ムーア/フィン・ウルフハード

日本での公開は2024年です。

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