映画『はじまりのうた』ネタバレ感想 ニューヨークの街角で才能と情熱がキラキラ輝くCDを作るのだ!という映画

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『はじまりのうた』というよりは、『もう一度、はじまりのうた』という映画です。

もともとの題名が『Begin Again』ですし、私的にも再起にかけるプロデューサーへ肩入れして見てしまったので、よけいに『もう一度』感がマシマシなのです。

“Begin Again”なんて、挫折した記憶のある人には響きますよね。

というわけで、映画『はじまりのうた』の感想を語ってみたいと思います。

「いやいや、挫折した経験なんて誰にでもあるじゃん~」という方も、「それで? 再起はできるの? できないの?」という方も、よろしかったらお付き合いください。

ただし、ネタバレ・あらすじを含みます

お嫌な方はここまででお願い致しますm(_._)m

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『はじまりのうた』ネタバレ感想

記憶がおぼろになっている方&見ていない方のために簡単なあらすじを。

突然、ライブハウスで自作の曲を歌うことになったグレタ。グレタは恋人のデイヴから浮気をカミングアウトされたばかりで失意のどん底にあった。歌う気分ではなかったが、半ば強引に歌わされ、それなのに観客からは鼻で笑われ、泣きっ面に蜂状態のグレタ。しかし偶然に居合わせた、同じく失意のどん底にあった音楽プロデューサーのダンだけがグレタの才能を見抜き、彼女をスカウトするのだった。

ニューヨークの街角で才能と情熱がキラキラ輝くアルバムを作るのだ!という映画

初めにも書きましたが、私はこの映画の中では、再起をはかるプロデューサーのダンに、ずいぶんと肩入れして見てしまいました。

彼も主役の1人ではあるのですけど、若い女性とかなら、グレタに感情移入する人も多いでしょう。

グレタとダン、育った環境も年齢も、まったく接点がありません。この2人に共通していることは、出会ったとき、2人とも強烈な挫折感を抱えていたってことだけです。

グレタのほうは挫折感とはちょっと違うかもしれませんが、失意のどん底にあったことに違いはありません。

この映画の始まりは、まず、ダンとグレタの出会いを見せてきます。

2人の出会いはニューヨークのライブハウスで、ライブハウスでの出会いを見せたあとに、それぞれがライブハウスにたどりつくまでを見せてくれるのです。

時系列で見せられなかったおかげで、グレタがダンに感じたホームレス感を彼女と同じように感じられたし、グレタの歌を先入観なく聴けました。えっと、正直、ヘタクソって思いました。すみません。

そんなんでしたからね~、人生の分岐点となるような出会いって、劇的でもなんでもないんだよな~と、自分の若い頃も思い出しつつ再認識しました。

よく、チャンスの神様は前髪しかないと言うじゃないですか。だから神様が走ってきたとき、しっかりと前髪をつかまなければならない。神様が通りすぎたあとで、神様をつかもうと手を伸ばしても、後ろ髪がないからツルンと手が滑って、チャンスをつかむことができないってね。

グレタとダンは、結果的には、しっかり前髪をつかみ合うことができました。

グレタはね、まだ分かるのです。彼女がダンの前髪をつかむ、つまりは彼の話に乗っかるのは分かる。ですが、グレタのあの歌を聞いて、彼女がチャンスの神様であると分かるダンがすごい。

グレタには、誰もが驚く声量とか、何オクターブもの領域を軽々と出せるとか、分かりやすい才能があるわけではありません。

作曲のほうも、ダンや、グレタの恋人だったデイヴのような、聴く方も能力がなければ分からない類の才能なのですよ、グレタの才能って。

で、ダンは即座にグレタをスカウトしました。前髪をつかみにいったわけです。

しかしグレタはきっぱりと断ります。ちょっとね、間が悪かったというのもあります。

グレタがなぜニューヨークに来たのかというと、音楽のパートナーであり、恋人でもあるデイヴのためでした。デイヴは映画の挿入歌を歌い、挿入歌がヒット、その流れでニューヨークに呼ばれ、レコーディングとなったのです。ちなみに2人はイギリスからやってきました。

つまり、デイヴはトントン拍子にシンガーとして出世しているのですが、合間に浮気もしちゃって、あっという間にグレタに見抜かれ、破局です。

グレタには踏んだり蹴ったりの状況ですよ。デイヴのためにニューヨークまで来たのに、デイヴの契約したレーベルの社長?はグレタをただの彼女としか思ってなくて、見下しきっています。

デイヴがグレタを一緒に作曲している仲間だと説明しているのに、まったく信じておらず、信じていないことを隠そうともしません。

グレタとしては腹も立ちますが、デイヴさえしっかりグレタ側に立っていてくれればよかったのに、デイヴも浮足立っちゃって、あげく浮気です。

これ、2人の地元のイギリスでやられていても辛いですが、異国の地でやられちゃったら、辛さ倍増ですよ。

ただでさえ孤独なところに持ってきて、唯一の味方だった恋人に裏切られ、住んでいた部屋はデイヴのためにレーベル側が用意したものでしたから、傷心のグレタが出て行くしかありません。

幸い、ニューヨークには友人のスティーヴがいてくれたので、そこに転がり込みました。

で、このスティーヴがグレタをライブハウスに連れ出し、彼女を無理やりステージに引っ張り上げたのです。

そしてダンのほうですが。

彼のほうがグレタより年を食っているぶん、グレタより状況は深刻です。ライブハウスに来る前には、自ら命を絶つことを考えていたくらいです。

気持ちは分かります。妻に裏切られて家を出て、自分で立ち上げたレーベルからはクビにされ、娘には軽蔑の目で見られる。キツい。キツすぎる。

で、日々酒に溺れて、件のライブハウスにたどり着いたときもベロベロで、しかし、数年ぶりに、胸が高鳴る才能に出会ったわけです。

どうですか?『はじまりのうた』より『もう一度、はじまりのうた』で合ってるでしょ?

この後、ダンは“退屈している”ミュージシャンたちを集めてきて、グレタのアルバムを作ろうとします。

デモテープをすっ飛ばしてアルバムを作ろうとしたのは、レーベルからデモを作る資金を出してもらえなかったからです。

「ニューヨークの街角でレコーディングをするぞ!」とダンが言い出したのは、スタジオを借りるお金がなかったからです。

なにもかもが追い詰められた挙句の苦肉の策でした。

でも、さすがグラミーを2回も貰っただけあって、ダンは有言実行でアルバムを作り上げます。

スラムの裏路地や地下鉄構内、公園、エンパイアステートビルが見えるどこかの屋上。様々な場所で録音します。もちろんゲリラライブです。

映画の後半は、このゲリラライブのシーンがみっちりあって、ダンがレーベルのパートナーであるサウルに言った「いいプロディーサーを付けて、スタジオで録音すればグレタの真価が分かる」の意味が十分に理解できます。

スタジオでの録音はかないませんでしたが、そのぶん、街の雑踏や、飛び入りで子供たちのコーラスが入ったりと、スタジオでは得られない+αがありました。

録音の過程が見られる私達は、さらに、警察に追いかけられるバンドメンバーたちや、夜の屋上での宝石みたいなバンド演奏を見られたりします。

もちろん屋上での演奏も無許可だし、ご近所の理解も得られていません。演奏の終わり頃には「警察呼ぶぞ!」って怒鳴られてます。

そんなのはいつものことなので、みんな楽器や機材を持って、さっさと逃げるのです。実に楽しい。

ダンはこのアルバム作りに夢中というか、没頭していて、この間まで自分で人生を終わらせようとしていた人には見えません。

彼の言う「音楽の魔法」に彼自身、ふたたび囚われたってことでしょうね。

「音楽の魔法」とは、例えば、音楽を聴きながら街を歩いていると、なんでもない風景がキラキラ輝いて見えて、まるで真珠のような価値を持つということです。

うんうん。これは多くの人が共感できますよね。

そして、これもまたダンの言葉なのですが、「年を取ると魔法が効かなくなる」そうです。

これも共感多数じゃないでしょうか。少なくとも私は大共感です。

なんででしょうかね。年齢とともに鈍くなったり、生活に追われて感情が磨耗してしまったりと、理由はたくさんある気がします。

それはそれで仕方のないことですし、特に悪いことじゃありません。

ただ、魔法が効かなくなっていると気付いたときに、ひどく寂しく感じるだけです。

あの気持ちをもう一度と思って、大好きだった音楽を聴いても、大好きだった映画を見ても、魔法は戻ってきません。

だから、ダンが再び魔法を取り戻せたことは奇跡のようなもので、ひたすら羨ましく、またキラキラして見える彼のことが我が事のように嬉しいのでした。

 

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彼は音楽の魔法を取り戻す

さて、「音楽の魔法」について語ったダンですけど、彼の言った「魔法」の意味は、よく知られたものでした。

そんな誰もが知っている魔法だけでなく、ダンだけが使える「音楽の魔法」があります。

まあ、魔法というより才能って言ったほうが分かりやすいですけど、彼にはアレンジの才能があります。

音痴で音感ゼロの私からすると、彼の才能って、もはや魔法です。

ダンがライブハウスでグレタを見たとき、グレタはギターを抱えて歌っていました。

グレタの歌声は細く、伴奏はギターだけだったのに、ダンは即座に曲の良さを理解し、空想上ではありますが、ピアノやドラム、さらにはバイオリンやチェロを加えて、曲の完成形を見せてくれました。

後日、ダンは仕事のパートナーであるサウルにグレタの曲を直接聞かせたのですが、はたしてサウルには、ダンほどグレタの才能が理解できたのでしょうかね?

ダンはデモテープを持ってこい、デモを聴いて判断すると言い、それは正直、体のいい断りだと感じました。

つまり、サウルにはダンほど才能を見抜く力はないわけです。ただ、サウルには経営の才というか、経営を無視してはやっていけないという理性がありました。

で、サウルとしては、グレタに手間隙かけてまで育てる才能はないと判断したわけです。

ダンに才能を見出す才能があると、サウルが認めていたとしても、もう何年も、ダンは誰とも契約していませんでした。

ダンの才能も枯れ果てたと、サウルは思っていたのかもしれません。というかダン自身も。

ですが、ダンはグレタを見つけました。その瞬間にダンが発動した魔法のシーンは、この映画の見どころの一つです。

ダンがかつて見つけた才能の一人に、トラブルガムというラッパーの男性がいます。

グレタとは別ジャンルの才能を持つ人ですけど、ダンにとってジャンルは関係ないのですよね。

ただただ、そこにある宝石を見つけて、磨く才能がダンにはあるのです。

ほんと、世の中にはたくさんの才能があるのですよ。トラブルガムやグレタのように作詞や作曲の才能もあれば、ダンのような、才能を見抜く才能もある。

ダンはプロデューサーとして一度は成功しながらも、すべてを失くしてしまいました。

そうするとね、大抵の人は心が折れてしまう。ダンだってそうでしたよ。

もう一度始めることは、若いときは、そんなに難しいことだと思っていませんでした。

でも年を取ると、再び動き出すことの難しさを実感します。

だからこそ、もう一度「音楽の魔法」を取り戻した彼はすごい。奇跡と言ってもいい。

結局のところ、ダンがレーベルから追い出されることに変わりはないようですが、再び動き始めたダンなら、それはもう、どうってことない話なのでしょうね。

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映画情報

製作年/2013年
製作国/アメリカ
監 督/ジョン・カーニー
出 演/キーラ・ナイトレイ/マーク・ラファロ

日本での公開は2015年です。

冒頭に、映画の題名について触れましたが、ウィキペディアによりますと、こちらの映画はトロント国際映画祭で上演されたそうで、その際は『Can a Song Save Your Life?』という題名だったそうです。

その題名、「題名としてはどうなん…?」となって変更されたのでしょうが、映画の内容が伝わりやすい題名ではありますよね。

その後『Begin Again』としてアメリカで公開されたわけですが、公開当初は5館の映画館でしか上映されなかったそうです。

それが口コミで1300館までに広がったと。

ということは、“Save”された人が多数いた、ということなのでしょうねぇ。ええ話や。

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