映画『みんな元気』ネタバレ感想 人生は切ない。だからサプライズなんてやるもんじゃない

海辺の子供たち シネマ手帖・洋画
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マルチェロ・マストロヤンニ主演のイタリア版『東京物語』です。

田舎に住む好々爺然とした父親が、イタリアのあちこちで暮らす5人の子供たちを訪ねて回ります。

父親の年齢は74歳。ということは“子供たち”とはいえ、皆いい年で、家庭を持っていたり、独身でも当然それぞれの人生を生きています。

そんなところへ、連絡もせず、サプライズで田舎親父が訪れるなんて、見る前からあまり良い想像はできません。

というわけで、映画『みんな元気』の感想を語ってみたいと思います。

「マストロヤンニの若い頃って超絶美しかったよね~」という方も、「『東京物語』ってどんな映画だっけ~?」という方も、よろしかったらお付き合いください。

ただし、ネタバレ・あらすじを含みます

お嫌な方はここまででお願い致しますm(_._)m

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『みんな元気』ネタバレ感想

記憶がおぼろになっている方&見ていない方のために簡単なあらすじを。

シチリアで暮らすマッテオ・スクーロは74歳。5人の子供たちはとっくの昔に家を出て、それぞれに暮らしている。いまや夏の休暇でさえ誰も帰ってこない。そこでマッテオは、自分から子供たちに会いに行こうと思いつき、彼らと会える喜びに胸をときめかせるのだった。

人生は切ない。だからサプライズなんてやるもんじゃない

皆様、小津安二郎監督の『東京物語』はご覧になったことありますでしょうか?

私はないです。

ですが、有名な作品なので、簡単なあらすじは知っています。

広島の尾道に住む老夫婦が、東京に住む子供たちを訪ねます。ですがもう、子供たちには子供たちの生活があり、自分たちの生活の中に突然入り込んできた両親を持て余してしまう、というのが大筋の流れです。

大筋的には『みんな元気』も同じ流れです。

ただ『東京物語』は夫婦で上京しますが、『みんな元気』では夫のマッテオだけが、単身で子供たちのところへ向かいます。

この映画の始まりは、マッテオが姿の見えない妻に向かって語りかけているシーンからです。

しかしマッテオに対し、妻からの返事はなく、マッテオの独り言となっています。

マッテオは好々爺然としていて、人の良いおじいちゃんという印象です。そんなおじいちゃんが妻に語りかけている内容はどこか切ない。

季節は夏の始まりくらいで、マッテオは夏の休暇に帰省してくる子供たちのために、5つのバンガローを貸し切ったと話しています。

彼には5人の子供がいて、子供たちはイタリアの各地でそれぞれに暮らしているのです。

久しぶりに子供たちや、その家族に会えることが楽しみでしようがない様子です。

しかし楽しそうに見えながら、マッテオには、どこか、藁にもすがるような切実さが見えます。

爽やかな夏が来る。それと共に、家族にも帰って来てほしいと願いながら、しかし、今年も子供たちは帰ってこないだろうという予感がある。

そして、予感通り、子供たちは誰一人帰ってこなかったのです。

悲しみにくれるかと思いきや、マッテオは逆に、張り切り出してしまいました。

「来ないなら、こちらから行こう、ほととぎす!」って感じでしょうか。

孫への土産をカゴに詰め込み、電車に乗り込んだくらいまでは、軽い興奮状態だったマッテオ。

同じ席に乗り合わせた人たちへ子供自慢を始めたりして、同席した人たちは、さりげなく、「迷惑~」って雰囲気をかもし出します。

無邪気な田舎者のお父さんだなぁと思わせるシーンですが、これは伏線ですね。

この後、子供たちの家をめぐる旅を続けていく間に、“無邪気”で“好々爺”な父親の仮面がはがれていきます。

いや、こう書くと悪人みたいですが、違います。マッテオは悪い人ではないのです。彼が子供思いで、家族を大切にしている父親であることに間違いはありません。

ただ、年金暮らしとなり、田舎の家で一人暮らしをしているうち、現実の厳しさを忘れていたのだと思います。

彼にとって、自分の子供たちは、世界一素晴らしい人間たちとなっていました。素晴らしいうえに優秀で、夫婦の誇りです。

そう思うことはまったく悪いことではありませんが、それは親の欲目であり願望でしかありません。

そのことを忘れずに慎ましく暮らしていれば、失望を味わうこともなかったのに。

とはいえ、子供たちが悪いわけでもありません。彼らは彼らなりに、一生懸命生きています。

ただ、父の望むようにはなれませんでした。

息子のカニオ、グリエルモ、アルヴァーロ、娘のトスカとノルマ。みな父の望む人生は生きていません。

カニオは国会議員になれておらず、議員秘書の身分です。たぶん一生、秘書止まりでしょう。

打楽器奏者になったグリエルモはまあまあいい感じでしたけど、トスカには父親の分からない赤ん坊がいて、ノルマは夫と別居中です。

アルヴァーロにいたっては、会うどころか連絡さえつきません。おかげでマッテオは、アルヴァーロが刑務所に入っているのだと思い込んでしまいました。

現実はもっと悪くて、アルヴァーロはどうやら自ら命を絶ったらしいのです。

“らしい”というのは、海で消息が分からなくなり、彼はまだ発見されていないからです。でも状況から考えると自ら…ということで間違いなさそうです。

アルヴァーロが消えてしまったことを、カニオたちはマッテオに隠していました。

そして、自分たちの現状も、マッテオには隠したり、嘘をついたりしていたのです。

なぜかといえば、それは自分たちのためというより、マッテオに失望させないためでした。父を悲しませたくなかったのです。

いい子供たちじゃないですか。父を愛しているのです。思いやりがあるのですよ。

でもマッテオは失望してしまいます。

切ないですねぇ。

だからね、サプライズなんてするものじゃないのです。

マッテオは、自分が行けば、子供たちは無条件に喜ぶと思い込んでいましたけど、たとえ隠し事がなかったとしても、大人になった子供たちがそんなに喜ぶものですかね。

しかも、内心はどうあれ、子供たちは精一杯喜んでみせてくれましたよ。

それなのに、「突然来られたら困るよ~」という一言に傷つくなんて、どんだけ定年ボケしてしまったのかと。

マッテオはサプライズに向いていませんね。もう二度とするべきじゃありません。

そして、この映画の監督にも、もしや、同じことが言えるのかもしれないと思いました。

映画の冒頭が、妻へ話しかけるシーンであることは、すでに書いたとおりです。

で、姿が見えず、返事もない妻のことを、「ああ、彼女はもう亡くなっているのだな」と、見ているこちら側は理解します。

しかし、映画のところどころで、マッテオは、まるで妻がまだ生きているような、シチリアの家で待っているような言葉を口にすることがありました。

うんうん、彼女はマッテオの心の中で生きているもんねと思いつつ、特に気にせず見ていたのです。

しかし、旅から帰ってきたマッテオが妻の墓に語りかけるシーンで、「ん? この監督、もしや、観客はまだ、妻が亡くなっていることに気付いてないと思ってる?」と感じてしまったのです。

「サプライ~~~ズ! 実は、妻は、すでに天に召されていました~!」的な演出なのかな…? と感じたのですよ。

いや、私の過剰反応なのかもしれませんが、ちょっと、どっち付かずに感じたというかね。

実は私、この映画の公開当時、映画館で見ています。そのとき、この妻の墓に語りかけるシーンがとんでもなく過剰演出に感じられ、「どんだけ~…」と脱力した思い出がございます。

今回、プライムビデオで『みんな元気』を発見しまして、ついつい、懷かしさから見てしまいました。ン十年前ほどに過剰演出とは感じませんでしたが、やっぱり、狙った演出なのか、狙ってはないけど、ちょっと盛りすぎちゃったのか、分かりづらいところです。

この映画の監督は、『ニュー・シネマ・パラダイス』の監督でもあります。『ニュー・シネマ・パラダイス』の次の作品が『みんな元気』でした。

あれだけ当たりまくった作品の次回作だというのに、『みんな元気』は、私の記憶が正しければ、小さな映画館での単館上映だったのです。

それをみても、私の感じたことは、過剰反応ではなかったのじゃないかな~と思います。

さすれば、です。

やっぱり、サプライズでうまくいくことって、滅多にないのです。

なので、サプライズなんてよっぽどの勝算がないかぎり、やるもんじゃないよな~と思うのでした。

 

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「みんな元気」と言ったのは愛だと思う

さて、子供たちをめぐる旅から帰って来た“好々爺”のマッテオ。

それはそれは、色々なことがあった旅でした。

最初は意気揚々と出掛けていきましたが、徐々に、子供たちの現実を知ることになったり、自身の子育て中の不安感や時代遅れの躾け方を思い出したり、ローマではグリエルモとカニオに当たり散らしたり、電車の中で倒れたりと、それはもういろいろです。

しかし、旅から帰ってきて、妻の墓へ報告に来たマッテオは、すっかり毒気が抜けていました。

そして、妻へ旅の報告をするのに、彼は自分の住むシチリア島を使って、次のような例え話をしました。

「この島を美しいと言う人がいるけれど、それは遠くから見るからだよ。遠くのものは綺麗に見えるからね」

うんうん。これが今回の旅で得た教訓ですね。

いいじゃないですか。それでいいと思います。

そしてマッテオは続けて言います。「子供たちは元気だったよ」と。

これを聞いたとき、愛だな~と思いました。

遠く離れた地で、みんな元気。うん、マッテオの家庭はそれでいいのです。

この映画を見ている人の中には、「もっと子供たちと腹を割って話し合うべきよ……」と悲しく思った方もいるかもしれません。

そうするほうがよいご家庭もあるのでしょう。

ですが、マッテオと彼の子供たちにはもう、言葉はいらないのじゃないかな?

マッテオの言うとおり、この旅は、案外、有意義だったのだと思います。

マッテオはこれまで通り、シチリアで、夢と思い出を抱きしめて暮らしていけばいいのです。

相変わらず孤独でしょうが、きっと、これまでとは違った、穏やかな孤独となることでしょう。

ただ、私の希望を述べるなら、マッテオには、旅の途中で出会った女性を追っかけていってほしかったな~と思います。

その女性も旅の途中でしたが、彼女は1人ではなく、年金生活者の集いで、大勢で旅行中でした。

なんでか、マッテオも、“年金生活者の集い”にシレッと混ざっていて、くだんの女性とダンスまで踊っていました。

彼女の回りには、マッテオのライバルとなるであろう爺さんがいる予感がして、マッテオの新たな恋愛模様を見てみたかったな~と思ったのです。

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映画情報

製作年/1990年
製作国/イタリア・フランス
監 督/ジュゼッペ・トルナトーレ
出 演/マルチェロ・マストロヤンニ/ミシェル・モルガン

日本での公開も1990年です。

最初にイタリア版『東京物語』と書きましたが、トルナトーレ監督が『東京物語』を見ていたかどうかは分かりません。

調べてみると、『東京物語』へのオマージュという書き方が散見されるのですが、監督本人がそう言ったという記述は見つけられませんでした。

まあ、なんだ。つまりは『東京物語』のテーマが、時代や国境を超えた普遍的なものであるということなのでしょうね。

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