映画『カイロの紫のバラ』ネタバレ感想 映画オタクよ、妄想の楽しみよ

紫のバラ シネマ手帖・洋画
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すごい映画だと思います。

映画好きの妄想を形にした映画、とでもいいましょうか。

というわけで、『カイロの紫のバラ』の感想を述べたいと思います。

いい映画だったよね~という方も、見たことないんだ~という方も、よかったらお付き合いください。

ただしネタバレ・あらすじを含みます

お嫌な方は、ここまででお願いいたしますm(._.)m

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『カイロの紫のバラ』ネタバレ感想

記憶がおぼろになっている方&見ていない方のために、簡単なあらすじを。

1930年代、アメリカ。セシリアは失業中の夫を支え、日々ウェイトレスや、洗濯等の手間賃仕事をしている。セシリアは働きづめだが、夫は仕事を探す気配もなく、セシリアに暴力を振るうことさえあった。そんなセシリアの唯一の楽しみは映画。『カイロの紫のバラ』は特にお気に入りで、何度も映画館へと足を運んだ。観覧が5回目になったとき、突如、スクリーンから、探検家のトム・バクスターが抜け出してきた。トムはセシリアに恋をしたのだ。映画館は大騒ぎ、映画会社も大騒ぎ。トムを演じた役者のギル・シェパードもやってきて、セシリアはトムとギルから求愛されることとなる。

映画オタクよ、妄想の楽しみよ

主人公のセシリアはすでに人妻なのですが、かわいい人なのですよ。

映画に夢中で、仕事中にも、ウェイトレス仲間と映画の話ばかりしています。

『カイロの紫のバラ』は上流階級の生活や、エジプトでの冒険が描かれていて、特に夢中になります。

うっとりと、「ペントハウス…」「砂漠…」なんてつぶやいているところなんて、気持ち分かるなあ。

かけ離れた夢のような世界も、映画なら簡単に、その世界に入り込むことができるのですよね。

現実を見ると嫌なことばかりです。不況のせいで夫は失業中、次の仕事はみつからないし、そもそも見つける気がなさそう。

女性を家に引き入れるし、酒は飲むし、妻に手を上げることもあります。

夫がそんな状態なのに、ドジばかりしているセシリアは、ついに、ウェイトレスもクビになります。

泣きながら映画館へ入るセシリア。

映画を見ているうちに、だんだん涙が乾いてきて、表情が生き返ってきます。

そんなセシリアに見つめられて、トム・バクスターは我慢できなくなり、ついに、セシリアに声をかけるのです。

トム・バクスターとは、映画の登場人物の名前です。

トムを演じているのはギル・シェパードという俳優ですが、映画から抜け出てきたトムは、ギルとは別人格です。

脚本家が骨格を描き、俳優のギルが肉付けをした、まったくの別人。

私、最初にトムがセシリアに話しかけてきたとき、セシリアの妄想だと思ったんですよね。

セシリア以外の観客が騒ぎ出すのも、スクリーンに向かってしゃべり出したセシリアに対する反応だと思っていました。

しかし、本当に、スクリーンから登場人物が抜け出してくるという設定です。

映画館が大騒ぎになるのは当然ですけど、映画会社も、訴えられるかもしれないと、対策に右往左往します。

映画の登場人物がリアルに出てくるなんて、すごいね~、で済む話じゃないんですね。

ですが、セシリアの立場になってみれば、こんなに嬉しいことはないですよね。

彼女はトムがお気に入りだったのです。そんなトムが、”キミに夢中”という目で、見つめて話しかけてくるのです。

トムは正義感が強くて、女性に優しくて、ハンサムでピュアで、おまけに甘い言葉を惜しげもなくくれます。

きゃー!って感じですよ。

しかも、トムの甘い言葉って、上辺だけのものじゃないんです。本当にセシリアを美しいと思っていて、セシリアを心底愛している。

映画世界の住人だったトムは、俳優や脚本家の作った設定がすべてです。

正義感が強く、冒険心に富んでいて、愛する女性に一途、なんて設定だったのでしょう。

トムにキスされて、セシリアは、夢見た通りのキスと言います。

そうか。そんな妄想をしていたのですね。それが現実になるなんて、天にも昇る気持ちでしょうね。

そして、トムを演じたギルもやってきて、ギルまでがセシリアに求婚します。

ギルの求婚は、純粋な恋愛感情から来たものではありません。セシリアにトムを振らせるための作戦でした。

でも、ギルの思惑を無視しても、トムには、スクリーンの中に帰ってもらうのが一番いいのです。

セシリアが好きだったトムは、スクリーンの中のトムです。

現実世界で、探検家の記憶しかないトムが生きていけるわけもない。

セシリアが働いて、トムを支えていくのもありっちゃ、ありです。

しかし現実を知っていくトムが、同じトムであってくれる保証はない。

そのうち酒を飲みだして、暴れて、女遊びを始めるかもしれない。

セシリアがそこまで考えたのかは分かりませんが、彼女はトムにお別れを言います。一生忘れないと言って。

映画はスクリーンの中にあってこそ楽しめるし、妄想もはかどるというものです。

トムを映画に戻すことで、セシリアは、一生楽しめる妄想を手に入れたのだなぁと、世間ズレしてしまった初老は思うのです。

嘘だからこそ? 映画は輝く

回転木馬

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映画のラストシーンも映画館です。

ギルから結婚しよう、ハリウッドに一緒に行こうといわれ、セシリアはトムに別れを告げ、夫にも啖呵を切って家を出ます。

ですが、目的を達成したギルは、一人でハリウッドに戻ってしまいました。

放心状態のセシリアは、いつもの映画館に入ります。

彼女の目の前で、フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースが華麗に踊っています。

アステアの甘い歌声が響きます。

セシリアは映像に引き込まれ、その顔には再び輝きが戻ってきます。

ここで映画は終わりです。

結局のところ、セシリアの生活は何も変わりません。

変わらないというか、どん底のままというか……。

幸いなのは、映画が好きという気持ちまでは失くしていない、ということでしょうか。

セシリアは、この先も、何度もつらい思いをするでしょう。

夫がロクデナシですからね。たとえ夫に仕事が見つかっても、子供ができても、セシリアは苦労するのが目に見えています。

でも、そんなときも、これまでと同じように、映画が彼女の癒やしになってくれるのです。

それに、セシリアには、トムとの素敵な思い出もあります。

トムと過ごした時間は、セシリアがお婆さんになっても、色鮮やかな思い出として残るはずです。

いえ、歳を取れば取るほど、思い出は、美しさを増していくかもしれません。

夫を見送り、子供たちも巣立ち、一人になったセシリアお婆さんは、花の香りが漂ってくる深夜、トムと再会するのです。

若いままのトムが、セシリアお婆さんに手を差し伸べます。

セシリアお婆さんは、私はもう歳だからと、尻込みします。

しかしトムは柔らかく微笑み、きみは昔と変わらず美しいよと言って、引っ込んでしまった手を握るのでした。

などと、セシリアお婆さんの妄想を、初老の私が妄想してみる。

映画ばんざい。妄想ばんざい。

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映画情報

製作年/1985年
製作国/アメリカ
監 督/ ウディ・アレン
出 演/ミア・ファロー/ジェフ・ダニエルズ

日本での初公開年は1986年です。

トムを、セシリアの妄想でなく、実際に出現する設定にしたのはすごいと思います。

こういうのって、下手したら、陳腐とか荒唐無稽とか、要するに、見るに耐えない駄作になりそう。

それを、こんな面白い映画に仕立てるなんて、ウディ・アレンって妄想の達人なんだな~と、感心いたしました。

 

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