不思議な余韻のイラン映画です。
これ、題名を見たとき、「どんな映画?」と思われませんでした?
私は思いました~。
題名から内容が想像できなくて、“桜桃の味”の意味はいかにと、映画を見始めた次第です。
というわけで、私にとっては初のイラン映画となる、『桜桃の味』について感想を語ってみたいと思います。
「イラン映画、私も見たことな~い」という方も、「桜桃ってなんだっけ?」という方も、よろしかったらお付き合いください。
ただし、ネタバレ・あらすじを含みます。
お嫌な方はここまででお願い致しますm(_._)m
『桜桃の味』ネタバレ感想
記憶がおぼろになっている方&見ていない方のために簡単なあらすじを。
桜桃の味とは生きることの醍醐味か…と我思う
この映画を見ておられない方にお伝えします。あらすじを読んでいただいたと思いますが、この映画の内容はそれだけなのですよ。
「それだけ」って言い方が悪いですけど、事実なので他に言いようがありません。
要するにバディという中年男性がジサ.ツをしようと決意し、彼のジサ.ツを完璧なものにするために、手伝ってくれる人を探すというお話です。
バディがなぜジサ.ツしようとしているのか、彼に家族はいるのか、どんな仕事をしているのか、そんなバックボーンは何も語られません。
分かっているのは、彼がジサ.ツしようと決意していること。場所は郊外の山中で、穴はすでに掘ってあること。
この穴、彼が掘ったものか、自然にあったものを利用しようとしているのかは分かりませんが、とにかく、ここがバディの人生を終わらせる場所なのです。
バディは夜になると薬を飮み、穴に横たわります。それで彼の人生は終わりです。
ただね、このバディという男、相当面倒くさい性格をしています。それだけは見ているだけで分かってきます。
いや、人生を終わりにするということは、生きる以上に大変なことだと私もよく分かっているのです。しかし、それにしてもですよ。
とりあえず、バディは自分がジサ.ツすることを誰にも知られたくないようです。
ですので、自分の亡骸が人の目に触れることがあってはなりません。
となると、自分が亡くなった後、自分で自分に土をかぶせることは無理ですから、誰かに頼もうということになります。
そのため、バディは信頼に足る人物を探そうとするのです。探すったって、車で、町中や郊外の工事現場を走り回るだけですけどね。
そんなやり方で探すほうも大変ですけど、声を掛けられるほうも大変です。
もし、あなたなら、見ず知らずの人間に路上で話しかけられて、一応報酬ありですが、こんな話を引き受けます?
私だったら、話を聞いたとたん、いろんなことが頭の中を駆けめぐるでしょうね~。
「それって犯罪にならないの?」とか、「いやいや、その前に人としてどうなの?」とか、「これってなにかの罠?」、「この人、もしやサイコパスの変質者?」「この話自体が嘘で、私を騙そうとしている?」「やだ!怖い!」って感じでしょうか。
実際、最初に、バディから“仕事”を持ちかけられた若い兵隊さんはそんな感じでした。
ジサ.ツのお手伝いを、バディは“仕事”と言っていました。まあ、事情を知らない人に話を切り出すには、そういう言い方しかできませんよね。
ところで、この兵隊さんの場合、先に声をかけてきたのは兵隊さんのほうでした。彼は兵舎に帰る途中で、兵舎まで乗せていってくれないかとバディに声をかけたのです。
バディは車中で若者と会話し、純朴で真面目そうな彼ならと思ったのでしょう、件の“仕事”を頼みました。
穴の場所まで彼を連れていき、“仕事”の手順を説明します。明日の朝、きみはここへ来て、私の名前を2度呼んでほしい。もし返事があれば、私を穴から助け出し、もし返事がなければシャベルで砂をかけてくれ、だそうです。
いや、なんかね、助けるルートもあるんかい、と突っ込んでしまいました。
返事うんぬん言わずに、「明日の朝、夜明け前に来て、この穴を埋めてくれ」だけでいいじゃん。なに逃げ道作ってんだって話です。ワタクシが面倒な男と言った理由がお分かりいただけたでしょうか。
しかし、若い兵隊さんにとっては面倒なんてものじゃなくて、かなりの恐怖だったようです。
もしや自分が埋められるとでも思ったのかもしれません。バディの車から飛び出ると、一目散に山を下っていきました。
山といっても、お国柄なのか、山全体が造成中のせいなのか、木がほとんどなく、若者が下っていく様子がずっと見えておりました。
若者が駆け下りていく様を見ながら、昔々、こんな描写のホラー小説を読んだな~と思い出しました。
さて。兵隊さんに逃げられたバディは、それでも懲りずに、手伝ってくれる人を探します。
いや、無理やろ、そんなん理由も話さず……と思っておりましたら、3人目につかまえた老人がバディの頼みを聞き入れてくれました。
このご老人は病身のお子さん?お孫さん?がいて、治療費のために引き受けたようです。
でも、それだけが理由ではない雰囲気です。
会ったばかりのバディを思いやっているのですよ、このご老人。
バディが頑なにジサ.ツの原因を話さないものですから、老人はいろんな話をしてバディの心変わりを促します。
その「いろんな話」の中の一つというか一言に、「桜桃の味」が出てくるのです。
老人は自分の経験を話したり、例え話をしたり、説教をしたり、しまいには星や月や太陽の美しさまで引っぱり出してきます。
こんなに美しいものを見たいと思わないのか。四季折々のおいしい果物を味わいたいと思わないのか。桜桃の味を忘れてしまったのか。
こんな流れで「桜桃の味」が出てきます。
いや、そんなんで説得されるかいな、と思われるでしょうが、でも、私はついつい聞き入ってしまいましたよ。
最近はこんな正論もあまり聞かなくなったな~、でも真理だよな~とかね。
ちなみに、ここでの桜桃とは、サクランボのことです。本来は実を含めた、ある種の桜の木そのものを指すそうですが、「桜桃」と言われたら、多くの人が実だけを思い浮かべるのではないかと思います。
そして、ジサ.ツをしようとしている人に、“サクランボ”で思い止まらせようとするとか、ちょっとクスッとくる話です。
私は好きです、この説得の仕方。おじいさんの実直な人柄が表れています。
そして繰り返しになりますが、これが真理ですよ。人が考えを変えるキッカケなんて、そんな大層なものじゃないのです。
このおじいさん、最初に、おじいさん自身がジサ.ツを思い止まったときの話をしてくれました。
まだ若い頃の話で、生活苦から、木の枝にロープを掛けようとしたのです。
ですが、上手く掛けることができず、木に登ってロープを枝にくくり付けようとしていると、手に触れるものがありました。
おじいさんが選んだ木は桑の木で、手に触れたのは桑の実でした。
おじいさんは桑の実を食べました。甘かったそうです。
桑の実を食べているうちに夜が明けて、彼は美しい朝日を目にしました。
私には、そのときのおじいさんの気持ちが分かるような気がします。
その日の朝日は、きっと目に染みるほど美しく見えたはずです。美しい朝日に照らされた風景は光り輝いていたことでしょう。それがあまりに美しくて、もしかしたら、少し泣いてしまったかもしれません。
そんなわけで、おじいさんは桑の実のおかげで、ジサ.ツをする気がなくなったということをバディに語ったのです。
これ、めちゃくちゃ、すっごく、本当に分かります。窮地に陥ったとき、的確なアドバイスや実質的な援助で救われることも、もちろんあります。
ですが、こんな、なんでもない、小さなことに救われたりすることも、またあるのです。
そして、そんな小さなことが、後で振り返ると、これぞ人生の醍醐味だよな~と感じたりするよね~なんて言ったら大袈裟でしょうかねぇ。
バディは目的を果たせたか?
さて、朝日や夕日の美しさ、泉の水の清らかさ、はてはサクランボの味まで持ち出して、バディに翻意させようとしたおじいさんですが、バディは心変わりしたのでしょうか?
まあ、面倒な男だけあって、頑なに決意を変えようとはしません。
しかも、最後はバディが穴に横たわったところで終わってしまうので、結果を目にすることもできません。
でもね、私は、もう絶対と言ってもいいほど、彼は生きる道を選んだだろうなと思います。
そもそも、おじいさんと別れたときから、彼は焦り出すんですよね。あれだけ手助けしてくれる人を望んで、やってあげると固く約束してくれた人が現れ、その人がバディを説得するのを諦めたとたん、彼は焦るのです。
人生が終わることを真に実感したのでしょうか?
「では明日」と、おじいさんと別れてすぐ、バディはおじいさんを追いかけ、勤務中のおじいさんを呼び出し、“仕事”の内容をちょっと変更してみたりします。
朝、穴の中の自分に声をかけるとき、声だけだと気付かないかもしれないから、石を投げてみてくれ、とかね。
いや、もう、怖なってるやん! 止め止め! ジサ.ツなんて止めじゃ!ってなもんですよ。
おじいさんも、「こりゃ本当にやることはできそうにないな」と思ったのか、車に乗っていたときとは打って変わって、バディを突き放す態度に出ます。さすが年の功。
で、バディは、ぼんやりと辺りの景色を眺めるのですが。
バディがベンチに座って眺める夕日が、最後には、まるで熟したサクランボのように見えるのが、なんともニクい演出だな~と思われます。
夕日がサクランボになるまで、彼は目に映る風景を堪能します。うん、私には堪能しているように見えました。
普段なら、なんとも思わない景色です。夕日に照らされた建物や鳥の群れ、飛行機の吐き出す細い雲。
それらを見ているときのバディは、桑の木の上で、朝日を感じていたおじいさんと同じ気持ちだったのではないでしょうか。
それでも夜になると、バディは穴のある山中に向かい、穴の脇では眼下に見える町の灯りを眺めます。
ついには穴の中に横たわりますが、それでも彼は目を閉じず、流れる雲の間に見え隠れする月を見つめていました。
このシーン、こう書いてみると、なんだか深刻そうな雰囲気ですね。でも、おじいさんに「声をかけるだけじゃなくて石も投げてみてくれ」と言い出した後から、なにか、ほっとするというか、可笑しみを感じてくるのです。
たぶん、バディは大丈夫です。彼はもう、目の前に広がる景色の美しさを思い出しましたし、たぶん、桜桃の味も思い出したのでしょうからね。
映画情報
製作国/イラン
監 督/アッバス・キアロスタミ
出 演/ホマユン・エルシャディ/アブドルホセイン・バゲリ
日本での公開は1998年です。
えっと、「バディは大丈夫」と書いた後になんですが、映画のラストに少々問題がありまして。
バディが穴に横たわった後、画面は暗転し、メイキング的な映像が映し出されます。
出演者やスタッフの、ほのぼのした様子が映し出される一方で、かかる曲がブルースっぽい。
この曲なんだっけ~? と思いつつ調べてみると、『セント・ジェームス病院』という曲でした。
有名な曲ですよね。私はうろ覚えでしたけど、知っている方も多いと思われます。
で、うろ覚えながら、なんとなく歌詞の意味を思い出しました。
この曲、病院で亡くなった愛しい人に会いに行く…って歌詞なんですよね。
ということは? あれ? バディって、もしかして?
と、最後の最後に混乱させてくる映画なのでした。
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