いや、ねっとり爽やかって、どっちやねんって感じですが。
しかし、それがワタクシの感想でございますので悪しからず。
会話は少なく、主人公の少女・ムイの視線が届く範囲で、すべてが進行していきます。
これを「つまらない」と思うか、「いいんじゃない?」と思うかは、好みの問題かと。
というわけで、映画『青いパパイヤの香り』の感想を語ってみたいと思います。
「ベトナム映画? ベトナム映画は見たことないなあ」という方も、「昔、アジア映画が流行った頃に見たわ~」という方も、よろしかったらお付き合いください。
ただしネタバレ・あらすじを含みます。
お嫌な方はここまででお願い致しますm(_._)m
『青いパパイヤの香り』ネタバレ感想
記憶がおぼろになっている方&見ていない方のために簡単なあらすじを。
ねっとり爽やかなガール・ミーツ・ボーイ映画
私の言う“ガール”とは、当然、主人公のムイです。
10歳のムイが奉公に出た先には3人の息子がおりまして、彼女が淡い恋心を抱いたのは、長男の友人であるクェンです。
どこの国でも女の子は早熟ですねえ。布地屋の長男はすでに成人済みで、ということは、ご友人のクェンも同じくらいのはずです。
10歳のムイから見るとけっこうな年上と思いますが、彼女の胸はときめいてしまうのですね。
初めてクェンを見たとき、ムイの視線がクェンを追うところ。遊びに来たクェンがムイに視線を送るところ。ここらへん、なんとも懐かしいときめきを感じます。
かといって、2人の間には、特に何かが起こるでもありません。
同じ場所にいても、2人は別世界の人間なのです。ムイは使用人で、クェンは裕福な家庭の子息です。
ただ、この映画の良いところは、階級の差にドロドロしたところが見られないことですね。
さらに言えば、この映画に悪人は1人も出てきません。もちろん短所というか、人それぞれ色々ありますよ?
布地屋の女主人である、ムイから見たら奥様ですね、奥様は本当に良い人ですが、なぜこんな良い人の夫がコイツなんだというくらい、夫は無気力で、店の金を持って家出を繰り返している男です。
いや~、見ていて、ほんっとうにク○だな~と思う男です、布地屋の主人は。
そして一緒に暮らしている主人の母親、奥様にとっての姑は、「息子が家を出て行くのは、おまえが至らない嫁だからだ」と嫁いびりをする婆です。
これも、どこの国も変わらないんだな~と、感心いたしました。
でもね、○ズ夫も、嫁いびり婆さんも、ムイに意地悪をするとか、見下す視線を向けるとかはありません。
かといって、優しい言葉を掛けることもありませんけど。
ムイは、主人やお姑さんの側を通りますし、彼らが座っている食卓の支度をしたりしますが、ムイと彼らの間には透明な膜があるみたいです。
ただ、ムイより少し年下の三男坊だけは、敵意に近い視線をムイに向けます。なんちゅうか、好きな子ほどいじめる、の典型といいますか。
いけませんねぇ。いじめて、振り向いてもらえることなんてないのにね。
しかも、“いじめ”と言うには少々度を越すこともあって、奥様が大切にしている壺にトカゲを入れて、驚いたムイが高価な壺を壊してしまうということもありました。
奥様がムイを責めることはありませんでしたけど、ムイは無実の罪を着せられたわけで、見ている私はモヤモヤするわけです。
しかも、この壺、高価なものであることは確かなのですが、本来は対になっており、2つ揃っていなければ価値がないのです。
後日、奥様はお金に困る状況となってしまい、残ったほうの壺も売ることにしたのですが、二束三文にしかなりませんでした。これって三男坊だけにじゃなく、家族にまで彼のやったことが返ってきたわけで、人に意地悪なんてするもんじゃないと思いましたね。
ところで、なぜ奥様がお金に困る状況になったのかというと、主人が店のお金を持って、またも家出してしまったからです。
主人の家出はこれが初めてではありません。しかし、一人娘のトーが亡くなってからは、娘への贖罪なのか、家出することはなくなっていたのです。
それなのに、また家出虫の再発です。
いったんは治まっていた家出の虫が再発した原因について、特に言及されることはなかったのですが、もしかすると、娘と同い年のムイが来たことに関係しているのかな~と思ったり。
で、まあ、店の金=生活費を持って夫が出奔してしまっても、奥様は子供と姑と使用人を食べさせていかねばならず、金目の物を売りさばいたのでした。
当面の生活費さえ持っていくって、シラ~ッとした顔したご主人でしたけど、けっこうな鬼畜ですよね。
それなのに、主人の母である姑は嫁に「おまえのせいだ」とキツくあたるのです。むかつくわ~。
こう書いてみると、「爽やか」には、ほど遠いですね。
私、実は、この映画、公開当時に映画館で見ています。ですが、映画のストーリーをまっっったく覚えておらず、ただ爽やかに女の子が愛されたお話としか記憶しておりませんでした。
で、それは、奉公先の状況をただ静かに見つめる、ムイの視線も一因かなと思います。
無関心ではなく、ただただ目の前のことを素直に受け入れるのですよ。
そして、学校に通うこともなく、家事に追われながら、小さな楽しみを持ちつつ、ムイの日々は過ぎていきます。
ムイの楽しみは、例えば、蟻を観察すること。
例えば、青パパイヤを半分に割り、中央に詰まっている種の中に指を差し入れて、感触を楽しむこと。
パパイヤの種が詰まっているところは、小さな蚕の繭がたくさん詰まっているようにも見えます。
つぶつぶ恐怖症の私には、ヒィッ!となるシーンでもあります。
また、コオロギを捕まえて、お手製のカゴで飼育したり、長男の友人・クェンが来る夜は、精一杯のおしゃれをしてから、食卓に料理を運びます。ムイの楽しみは色々あるのです。
そんなふうに月日は流れ、10年後、ムイは布地屋を出されることになりました。
10年経つと、店は長男夫婦の代となっており、経営は相変わらず大変そうです。そのせいでムイは暇を出されます。ムイの新しい奉公先はクェンのところでした。
クェンは新進の作曲家となっており、優雅な一人暮らしです。良家の子息らしく、良家の子女である婚約者がいますが、結婚はまだですし、婚約者がクェンの身の回りの世話をすることはありません。
クェンの家でも、ムイは空気のように歩き回っては部屋を整え、食事の支度をします。
ムイとクェンの間にも会話はありません。ただムイの視線や、クェンの描くムイらしい女性のデッサンで、彼らの気持ちが分かります。
この映画、会話がかなり少なめです。だからでしょうか、物言わぬムイの視線が、露骨と言ってもいいくらい、ねっとりと感じられるときがあります。
そして、当然の結果として、ムイとクェンは結ばれます。かわいそうに、ムイはクェンの婚約者にぶたれてしまい、そこだけはクェンに「は?」と言いたい。おまえが対処しろと。
しかし2人は幸せそうです。
そして、ムイは幸せそうなだけでなく、これまでとは明らかに違った、自信に満ちた眼差しをしています。
それは愛する男性と結ばれたというだけでなく、クェンから読み書きを教わり、文学に触れ、1人の人間としての、自我の目覚めもあったからなのだろうな~と思うのでした。
実はボーイ・ミーツ・ガール映画でもあったのだ
分かります、分かります。なに当然のこと言ってんだって話ですよね。
ガールがボーイに出会ったなら、ボーイもガールに出会ったに決まってんだろって。
そうなのですけど、まあ、聞いてください。
ムイはクェンと出会って、人生が大きく変わったわけですが、クェンもまた、ムイを選んだことで、人生が大きく変わったのではないかと思います。
ムイがクェンの家へ奉公に出されたとき、クェンには立派な婚約者がいました。クェンの実家は裕福で、その裕福なご実家に見合う家柄の女性です。
女性のほうがクェンに入れ込んでいる感はありますが、クェンの方も嫌がっている感じではありませんでした。来るもの拒まずといいますか。
クェンにとって結婚とは、恋愛の延長線上にあるものではなかったのでしょう。
それはそれでいいのかもしれませんが、前述いたしました布地屋のご主人、彼も結局、自分の意志とは関係ないところで生きてきた結果、家出を繰り返す無気力人間になってしまったのではなかろうかと思うのです。
無気力って怖いです。無気力な彼は、自分以外の人間のことは何も考えられない人になっていました。
店のお金を根こそぎ持って出たら、妻や子供、年老いた母や使用人まで、すぐに困窮することは分かりきっているのに、それをする。
あげく、家に戻ってきて自ら命を絶ってしまう。
どこまでも自分勝手です。
ですが、彼は元からそんな人間だったのでしょうかね?
主人の父親は早くに亡くなったそうで、もしかしたら、ずっと早い時期から家長としての責務を押し付けられて、ダメ人間になってしまったのかもしれません。
主人も、家や親の被害者だったのかもしれないと思います。金持ち病なんてものがあるかは知りませんが、持たざる者も辛いけど、持てる者たちも、また辛いことがあるのでしょうねえ。
ですが妻や子供たちからしたら、主人は加害者でしかなく、経緯はどうであれ、家族をないがしろにしていい理由にはならないのですよ。
で、同じく裕福で背負うものが大きいクェンも、布地屋の主人と同じ道をたどったかもしれません。
布地屋の主人ほどの絶望を感じることはないにしても、自分の妻や子供に愛を感じない人生を送ったかもしれない。
ムイと気持ちを通じ合わせた後、ムイに読み書きを教えるクェンは、とても柔らかい表情をしていました。
ムイを選んだことで失うものもあったかもしれませんが、意志の宿った笑みを浮かべるムイを見ると、手に入れたもののほうが大きいよな~と思わざるを得ないのでした。
映画情報
製作国/フランス・ベトナム
監 督/トラン・アン・ユン
出 演/リュ・マン・サン/トラン・ヌー・イエン=ケー
日本での公開は1994年です。
最初にベトナム映画と書きましたが、正確にはフランスとベトナムの合作映画ですね。
ですが監督はベトナム出身で、舞台もベトナム。撮影はフランスでということですけど、私的にはベトナム映画だなぁと。
その辺は、映画を見るうえでは、どうでも良いことではあります。だがしかし、カテゴリー分けするのに「洋画」に入れるか「アジア映画」に入れるか、悩むところです~。
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