家族から蔑(ないがし)ろにされている主婦が自分を取り戻していくお話です。
なんと身近な話だろうと感じたのですが、これ、遠く離れたインドに暮らす、インド人主婦のお話です。
人の悩みに国境なんてないのですね~。
というわけで、映画『マダム・イン・ニューヨーク』の感想を語りたいと思います。
「私にも自分を取り戻すことが必要だわ~」という方も、「自分より誰かに愛された~い」という方も、よろしかったらお付き合いください。
ただしネタバレ・あらすじを含みます。
お嫌な方はここまででお願い致しますm(_._)m
『マダム・イン・ニューヨーク』ネタバレ感想
記憶がおぼろになっている方&見ていない方のために簡単なあらすじを。
まずは自分を愛すること、話はそれからだ!という映画
この映画で言いたいことは、最後の、シャシのスピーチに集約されています。
なんとも効率のよい映画です。
「いや、シャシのスピーチってなによ?」って話ですよね?
お答えしましょう。
シャシはインドに暮らすインド人の主婦なのですが、ニューヨークに住む彼女の姉に頼まれて、1人でニューヨークまでやってきます。
呼ばれた理由は、姉の娘、つまりシャシにとっては姪ですね、姪の結婚式の準備のためです。
早くにアメリカへ渡り、親はすでに鬼籍らしく、頼りにできるのは妹のシャシだけの姉・マヌ。
このへん、田舎者の私にはよく分かります。冠婚葬祭って親兄弟や親戚間で、「ああよね?」「こうよね?」と言い合いながら、正解を探していくところがあります。
故郷を離れて長いマヌにとって、しきたりに則った結婚式の準備は心細いばかりでしょう。妹のシャシとしても、姉のためになるなら協力したいという思いもある。
ただ問題があって、シャシは英語が苦手でした。
苦手というより、いろんな状況が相まって、コンプレックスにまでこじらせてしまっているように見えます。
私はこの映画を見るまで、インドでは、ほとんどの人が英語を話せると思っていたのですよね。
公用語に英語も入っていると聞いたことがありましたし。
ですが、シャシは英語が話せません。使用人らしい男性も英語は苦手な様子でした。
なるほど、考えてみたら、自分の国の言葉じゃないし当然だよな~、と思ってちょっと調べてみましたら、英語を話す人の割合って1割程度らしいです。
いや、思った以上に少ない。
しかしヒンディー語でさえ6割弱で、多言語国家の複雑さを初めて認識しました。
そしてね、ここからは言語でなく人間の複雑さですが、人は話す言葉によって、相手を上に見たり、下に見たりすることがあるのです。
うん、多言語国家の複雑さは未経験ですが、人間の複雑さは理解できます。
言語に絡めた話でいうなら、地方で生まれ育った私は、方言を笑われたことがございます。
地方で生まれ育った私が、地方の言葉を話すのは至って当然のことです。
それでも方言を笑う人はいるのです。笑う人を、私も笑ってすませる場合もあれば、なんだコイツとムッとする場合もあります。
シャシも同じでしょう。ただ、彼女の場合、ムッとさせてくる相手が娘と夫なのです。これはキツい。
2人は英語がペラペラです。ときに、話せないシャシをからかうくらいのことはあるでしょう。でもサプナは、母の、英語も話せないし現代的でないところも、嫌でたまらないのです。
まあね、サプナの場合はまだ分かります。中・高校生くらいの娘が親を恥ずかしがったり、見下してくることは、ままあることですよね。だから許されるとは言いませんが、程度問題といいますか。
それに、そのうち黒歴史となって、もんどりうって恥ずかしがる時代がサプナには絶対くるでしょう。
問題は、母親をバカにする娘を諫めず、一緒になって笑っている夫のほうにあると思われます。
娘と一緒になって、シャシの英語の発音を笑う夫ってどうなの?
そのくらいのことでと思われるかもしれませんが、この夫には、さらに日々の積み重ねがあるのです。
サティシュも、料理しかできない・主婦しかできない・古くさい価値観しかないシャシを下に見ています。
そして、そのことを意識できていないのが、最高にタチが悪いです。意識できていないから、自分がシャシを見下していることにも気づかない。
当然、シャシは夫の態度に悶々としてしまうわけですが、それをうまく伝えることができません。
そりゃそうです。前提を意識できていない人間に、不満を伝えることは至難の業です。
そんな中でシャシは、結婚式の準備のため、家族より先に1人でアメリカへ行くこととなったのです。
英語に自信もないし、そもそも自分に対する自信もないシャシですから、アメリカに旅立つ前には涙したりします。
気持ちは分かります。根っからの田舎者である私もシャシの気持ちは痛いほど分かりますが、泣かんでも…とも思ってしまったのは、ごめん。
ですが、そんなシャシが、ニューヨークで自信を取り戻すのです。自分に自信を取り戻したからこそ、結婚式でスピーチを求められ、英語で結婚生活のアドバイスを姪夫婦に送ります。
そのアドバイスは、「結婚とはフレンド・シップ」であること。つまり、夫婦は対等であるということですね。
でも長い結婚生活の間には、「対等」であることを見失うときがある。そうなったら結婚生活は終わりなのか、と続けます。
これは自問自答ですよね。そしてシャシはすでに答えを出しています。
終わりじゃない。自分で自分を助けたらいい、と。
この答えは意外でした。いえ、その通りだとは思うのですが、もっとウェットな、「愛だろ、愛」的な答えを予想していたのです。
まずは自分で自分を立て直せ。自分を愛して、自信を取り戻すのだ。話はそれからだってことですね。そしてそれが、この映画の言いたいことだろうなと。
シャシはさらに続けて、「家族というものは自分を傷つけないし、自分に愛と敬意をくれるものだ」と言ってスピーチを終えます。
このスピーチの間、サティシュとサプナは横で聞いています。なんと盛大な嫌味かと思いましたが、これ、嫌味で言っているのではないですね。きっと。たぶん。
それが家族というものだ。私の愛する家族の形なのだ。私はそれを諦めないぞ。というシャシの答えなのじゃないかな~と、彼女の強さにちょっと感動したのでした。
昔じゃない 主婦だけじゃない
さて、それでは、どうやってシャシは自信を取り戻したのでしょうか?
ニューヨークに来て、1人でコーヒーも買えなかったシャシは、4週間で話せるようになるという英会話教室の広告を目にします。
その広告を見たとき、姪と一緒にいたのですが、姪のほうは「ウソくさ~(笑)」って感じで笑っていました。
たぶん、ほとんどの人がそう思いますよね。4週間で話せるようになるなら、誰も苦労せんわって話です。
あ、このとき一緒だった姪は結婚予定の姪ではなく、結婚する姪の妹でラーダと言います。
ラーダの反応はきわめて一般的な反応だと思いますが、シャシはその教室に申し込んでしまうのです。
え? そこ、まともなところなの? 大丈夫? と思いましたが、ギリ・セーフという感じでしょうか。
4週間で一つの言語を習得できると宣伝しちゃう時点でアウトな気もしますけど、教えてくれる先生と、同じクラスになった人たちが、よい人ばかりだったのが幸いです。
シャシの先生の、仕事に対する姿勢は実にすばらしい。見習いたいです。
教師としても、というか教師だからこそ、4週間で話せるようになるとか無理だと分かっているはずです。
私が彼の立場なら、そんなことできるわけがない、仕事だから仕方なくやってんだって空気を漂わせてしまうかもしれません。
でも彼は前向きで、楽しく授業をしています。
そんな人だから、生徒のいいところを引き出すのも上手くて、シャシが家でお菓子を作って売っていると言うと、「あなたは起業家だ」と言って褒めたたえてくれました。
こんなの気分バク上がりですよね。いい教師だ。
まあ、その後、サティシュによって地面に叩きつけられますけれども。
教室に話を戻しますと、同じクラスには国籍も年齢も職業も違う人たちがシャシ以外に6人いて、英語を学ぶという以外にも、自分の知らない世界に触れるいい経験になりました。
その中にはシャシに恋するフランス人のローランもいて、古風なシャシが彼の想いに応えることはありませんでしたが、彼女が自信を取り戻せたのは彼の存在も大きかったと思います。
かくして、最初は誰にも言えず、こっそり通い始めた英会話教室は、ただ英語を話せるようになるだけでなく、自分を取り戻すキッカケもくれたのです。
自分にもできる、自分はできる。そう肯定することがどれだけ大切か、初老の諸姉諸兄なら実感として分かっていただけると思います。
そして、さらに、これはシャシだけの話ではなく、主婦だけの話でもなく、昔だろうが今だろうが、共通していえる基本姿勢だよな~と、お分かりいただけていると思います。
この映画は、10年以上は前の映画です。時代が違えど、国や立場が違えど、変わらない考え方ってあるのだなと思える、清々しく可愛らしい映画なのでした。
映画情報
製作国/インド
監 督/ガウリ・シンデー
出 演/シュリデヴィ/アディル・フセイン
日本での公開は2014年です。
シャシ役のシュリデヴィさん、初めて拝見したのですが、その美しさにただただびっくり。
そして、すでに亡くなられていたことにもびっくりしました。2018年に54歳で亡くなられたそうです。
残念すぎる……。
ご冥福をお祈り致します。
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